祇園山・揺岳
大石越登山口〜祇園山〜大石越登山口〜揺岳登山口〜揺岳〜揺岳登山口 2018/3/133/12(月)
林道の状況をごかせ観光協会でチェック。少し前にここのページに登山口までの道路の状況がのっていることを知った。国道265号線五ヶ瀬町鞍岡地区〜祇園山登山口(大石峠)までの林道は通行可能、国道503号からは通行不可となっていた。他には黒峰・トンギリ山登山口は道路崩壊の復旧工事のためしばらく全面通行止め、3/3に開催予定の「白銀の星空ツアーin五ヶ瀬ハイランドスキー場」というイベントが積雪のためパーキングセンターからスキーセンターまでシャトルバスが運行できなくて中止という情報がのっていた。
3/13(火)
車への荷物の積み込みのために外に出ると明るい星は見えてはいるので晴れてはいるようだが、薄雲が出ているようだ。
5:33に自宅発。外気温6度。航続可能距離676km。東の空に細い月が昇っていた。
交通量が少ない時間帯なので国道208号を直進して県道30号へ向かうつもりだったが、カーナビが滅多に指示しない裏道の方を指示したので裏道を通り、国道387号経由で県道30号へ。
6:40に道の駅 大津着。走行距離41.8km、燃費22.7km/L、平均車速37km/h、走行時間1:07、EV走行距離22.7km(54%)、航続可能距離659km、外気温9度。高度167m。6:44発。
食料調達のためにコンビニへ寄ることにした。
7:11にローソン 南阿蘇白水店着。走行距離60.2km、燃費20.9km/L、平均車速38km/h、走行時間1:34、EV走行距離28.3km(47%)、航続可能距離637km、外気温5度。高度480m。7:22発。
今日は寒いかと心配していたが、南阿蘇村で気温が5度だったので安心した。ところが山都町で気温が3度まで下がった。
7:58に馬見原駐在所横駐車場着。走行距離90.4km、燃費22.2km/L、平均車速41km/h、走行時間2:11、EV走行距離42.5km(47%)、航続可能距離593km、外気温4度。高度537m。
休憩を兼ねて軽く食事。
8:11に馬見原駐在所横駐車場発。
国道265号から黒峰・トンギリ山の登山口へ登っていく道の入口を確認。そこから3km弱で大石越へ向かう林道の入口。林道は幅3mくらいで舗装されており、路面の状態もわりと良く走りやすい。
林道の脇にはミツバチの巣箱が所々に置かれていた。この巣箱は良く見る横長の箱形のものでなく縦長のものだった。
林道では他に走っている車はいないだろうと思っていたら、コンクリートミキサー車2台とすれ違った。おそらく国道503号側の通行止め区間の工事のための車両だろう。2台ともすれ違った場所が道幅があり、すれ違いやすい場所だったのはラッキーだった。
ここの登山口までの道はGoogleストリートビューにデータがあった。事前に確認したとおりの建物(トイレらしい)が右に見えてから、ほんの少し進むと左側に大石越登山口があった。
建物のあたりの様子がストリートビューで見たのとちょっと違うなと思って、帰ってから確認すると、ストリートビューではあったトイレの付近の植林が伐採されていたからだった。Googleマップの航空写真では伐採後の写真になっていた。ちなみにストリートビューのデータは2013年11月のものだった。
8:44に大石越着。走行距離107.6km、燃費20.3km/L、平均車速39km/h、走行時間2:44、EV走行距離49.2km(46%)、航続可能距離50km、外気温9度。高度1023m。
駐車した場所の近くの木に黒いものがいっぱい付いていて、最初は大量のカラスでも留まっているのかと思ったが、よくみると千切れた黒いビニールが絡まっているだけだった。駐車地点のすこし下の方に平らな草地があり、そこに降りていく道があった。何のための場所だろうと思っていたが、帰ってから祇園山について調べていたら、山開きの時にこの草地にも車を停めるらしい。
登る準備をしている時に国道265号方向へ向かうコンクリートミキサー車がやって来て、しばらく停車。そのうち265号側からコンクリートミキサー車が上ってきた。どうやら、このあたりですれ違うようにしているようだ。
駐車地点〜大石越登山口〜祇園山〜大石越登山口
駐車地点からは向坂山、小川岳が見えたが、上の方は雪が少し付いていた。
駐車地点から歩き出すとキツツキが木を突いている音が聞えてきた。
駐車地点の目と鼻の先が大石越登山口。道標によれば2km 50分。すぐ脇に以下のような案内板(実際には縦書き)があった。
大石越 西南役塹壕跡 |
所在地 五ヶ瀬町大字鞍岡一本木五三三一番地 標 高 一、〇三〇メートル |
この塹壕跡は、明治十年(一八七七年)の 西南役のもので、官軍の歩兵第十三連隊が守 備する鏡山陣地を攻撃せよと、人吉の本隊か ら命じられた、薩軍三田井派遣隊は、肥後壮 之助の正義六番隊と、大島景安の延岡隊を、 五月十二日から坂本及び大石に駐屯させた。 両隊はこの大石峠に監視兵を置いて、官軍 の鞍岡からの進攻を警戒させた。大石峠の旧 道を挟んで両側に壕跡が二ヶ所ある。 五月十四日、薩軍は午前一時一斉に行動を 起し、夜明けと共に総攻撃に移ることとし、 正面隊は廻渕から、右翼隊は加勢群、境ノ松 から、左翼隊の肥後、大島の両隊は、大石か らウツギの越に登り、肥後隊は峰伝いに笠部 峠を経て鏡山の側面から官軍の陣地に突入し、 延岡隊はウツギの越から笠部に下り、第二大 隊第三中隊長平佐大尉の駐屯陣地の背後から 急撃してこれを馬見原に走らせた。 この日薩軍は、鏡山の官軍陣地二十九塁を 奪い、官軍を馬見原に追い落して、大いに戦 果をあげた。 翌日延岡隊は三田井方面の防衛に廻される が、肥後隊は五月二十六日、米良方面に派遣 されるまで坂本、大石方面の警備に当ってお り、それ迄この地は薩軍の警備陣地が置かれ ていた所である。 |
平成三年三月三十一日 五ヶ瀬町教育委員会 |
塹壕っぽいところはないなと思いながら登山口からほんの少し登ると「大石越 西南の役 西郷軍 塹壕跡」と書かれた柱があった。塹壕というよりはただの窪地だなと思った。もともと浅い塹壕だったのだろうか、それとも月日がたって埋まったのだろうか。
塹壕の柱のそばには以下のような案内板もあった(実際には縦書き)。
■祇園山 山名の由来 |
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」 平家物語の冒頭の一節として有名な祇園 精舎は、インドでスダッタという長者が、 釈迦とその教団のために、広い荘園を買い 求めて建てた最初の寺院の名である。 わが国には、仏教伝来と共に伝わり、京都 の東山の地に、「祇園感神院」として建てら れた。 同院は、本来、牛頭天皇(祇園精舎の守護 神)を祭神としていたが、御霊的神格だった ことから、日本の素戔鳴尊と習合され、神と 仏をいっしょに祭る神仏合祀社となった。 そして、明治初期の神仏分離により、現在の 八坂神社と改称された。 祇園感神院の頃は、全国各地から多くの 修験者が集まり、修行したと伝えられる。 この祇園感神院で修行した縁の修行者 が現在の祇園山 山頂に小屋を造り苦行を 重ね、山麓には遥拝所を建て祈願した。 その遥拝所が後に祇園神社となり、それに 伴って山上が祇園山となった。 山嶺山岳は、最高の神聖なる所で、山岳信仰 の賜ものである。 |
平成十五 年三月 吉日 |
五ヶ瀬町教育委員会 |
登山口で道標の2km 50分というのを見たときは50分で280mの標高差はちょっと急だなとは思った。『新・分県登山ガイド』にも急登と書かれていたけど、ちょっと急なだけだろうとタカをくくっていた。でも実際に登ってみるとふくらはぎと腿にくる急登だった。道幅のある土の道で斜面もわりと凹凸のない状態のなので急登ではあるが、登りやすかった。
登っていくと右側が自然林、左が植林の状態になった。
天狗岩の手前にロープのある急登。左に迂回路があったけど、迂回路は下りで使うことにしてロープのある方を登った。
山頂に着いてみるとあまり展望はない。『新・分県登山ガイド』には「西方向は樹木にさえぎられるものの、他の方向の展望は良い」と書いてあったので西方向以外は開けているのかと思っていたが、落葉低木が生えており、開けているわけでもない。
車で阿蘇方面を走っていたときに雲が多くなってきて、今日は展望は無理かなと思ったが、登山口の段階でわりと良く晴れていたので安心してた。けど、山頂に着いてみると、春先にありがちな薄ぼんやりした晴れの状態で遠景が霞んで見えない。大仁田山は風力発電の風車があったので分かったが、遠景は霞んで見えない。二上山の後ろの方は山がうっすらと見える程度。馬見原の家並みは良く見えた。前に向坂山・白岩山に登ったときには五ヶ瀬スキー場からの展望の記憶が残らなかったのに小川岳に登ったときは展望が良かったと記憶が残ったので、おそらくそれと同じで阿蘇、祖母あたりまでの遠望が望めない時はイマイチなのだろう。
山頂付近にはシャクナゲの木が生えていた。ツツジの花の季節にはアケボノツツジ、ミツバツツジ、ヒカゲツツジなどの花も見ることが出来るらしい。
遠望がなくて展望がイマイチだったのでさっさと下山開始。途中左の方へ向かう道を見つけたので行ってみた。行き止まりの所まで行ったが近くの山しか見えない。多分ここも遠くまで見えるときは良い眺望なのだろう。
登りの時は気付かなかったが、途中に大きな松の木があった。
登山口まで降りてくると空には更に雲が増え曇天になっていた。天気予報では九州全域どころか西日本は晴れの予想だったのに。
下山中もトラックの通行する音が聞えていたが、コンクリートミキサー車が通行していた。大石越まで登ってくるときに車体におかめっぽい絵が書いてあるなと思って見ていた。大石越で見たら赤い顔の男の絵が書いてあったので、おかめっぽい絵はおかめでないことにやっと気付いた。車体に描かれていたのは天鈿女命(アマノウズメノミコト)、天手力男命(タチカラノノミコト)だろう。ナンバープレートも宮崎ナンバーだったし。
車で登ってきた時には気にも留めなかったが、大石越には電柱と電線がある。こんな山の中の集落もない林道が通っているだけの峠に電線が通してあるのは少し不思議な気がした。
大石越登山口〜揺岳登山口〜揺岳〜揺岳登山口〜駐車地点
祇園山の次は揺岳へ。大石越登山口から林道を100mほど進むと右側に揺岳登山口の案内板があり頂上まで約70分とあった。そこから100mほど進むと「関係者以外立入禁止」とかかれた案内板があり、直進する林道と左の方へ向かう林道に分かれていた。往路では気付かなかったが、この案内板の左上の隅には左方向の矢印と揺岳と書かれていた。左手の林道を進んだ。最初は土の道ながら軽トラならば進めそうな道だったのが進むにつれて細くなり、植林の中の作業道のような道になった。ただの林業関係者の作業道に迷い込んだのかと思ったが、一応赤テープとかはあった。
最初の方は緩い道だったので、祇園山みたいな急な傾斜ではないのかなと思っていたが、歩くに連れ傾斜は急になってきた。
そのうち左が自然林で右が植林の場所を道は通るようなった。
30分ほどで最初のピーク。ここで軽く食事。登山口に頂上まで70分とあったので祇園山より距離が長いだけだろうと思っていたが、ここで地図を見直すと山頂の手前からの道がかなり急。
1218mピークからの道は次のピークまでしばらく緩い道。地図で見ると2つ目のピークの方が少し標高が高いらしい。
2つ目のピークから下ってから揺岳の頂上までの道がかなりの急登。
途中で飛びさるホシガラスらしき鳥を見た。後ろ姿で羽の裏の方しか見えなかったが、羽の色とサイズから言ってホシガラスだろう。
登っていくに連れ空には雲が増え、通り雨があるかもと思っていたら、ポツポツと雨が降ってきたがすぐにやんだ。ここではこんな天気でも意外と阿蘇の方は晴れていたりするんだろうなと思いながら登っていたが、実際に帰りに寄った南阿蘇村は晴れていた。
山頂までに道の脇にほんの少しだが雪が4ヶ所ほど残っている場所があった。
山頂は大仁田山方向が開けていたが、曇天なので眺望はイマイチ。大仁田山、諸塚山は近くなので見えた。二上山の後ろに祖母山らしき山がうっすらと見えていた。遠くからシカらしき鳴き声が聞えた。
大仁田山が見えるということは飯干峠付近も見えているということに気付いた。そのあたりを見てみると、なんとなく道っぽいものが見えているが、あんなところに道が通っているのかといった地形。国道503号が酷道なのも無理はない。
12時になって、下の方からチャイムが聞えた。曲は「恋はみずいろ」だった。この曲は昔イージーリスニング全盛だった頃にはポール・モーリアのアレンジの曲を良く聞いた。
下山で道を間違えた。山頂から道っぽいのが続いていたのでそちらに入り込んでしまった。筆界の杭があったので一応は道なのだろう。往路で山頂の手前でくいっと左に回り込んでから山頂に到着したが、それを忘れていたので騙された。入り込んだ道は山頂からまっすぐに伸びていてそちらの方が道らしく見えた。なんとなく道が違うかなとは感じたが、筆界杭は有るし、登りでぼけっとして歩いていたので良く覚えていないだけだろうと思った。5分くらい歩いてから、傾斜が緩すぎるので道を間違えたことにやっと気付いた。引き返そうとしていたら下の方から音が聞えてきた。下の方を見ると大きなイノシシが2頭ほど走り去っていった。1,218mピークのあたりに地面を掘り返した痕があったので居るだろうなと思っていたが遭遇するとは思わなかった。
大石越への道を急ぎすぎて、下の植林のあたりで道をまた間違えた。大石越からの車の下りでコンクリートミキサー車とのすれ違いが嫌なので、最初は大石越で行き違いのために待ち合わせしている下りのコンクリートミキサー車の後ろを付いていこうかと考えていた。だが、昼食の頃は作業を休むだろうから13時少し前に大石峠を出発すれば林道ですれ違いがないだろうと考えるようになった。速く下ることばかりを考えて、廻りを良く見ず、まっすぐ降りすぎた。道を外れたと分かってからトラックログを見て軌道修正。トラックログを見るためにザックを降ろしたら、そばにシカの糞が落ちていた。道の方へ向かう感じで少し登り返したらすぐに道に戻れた。
コースタイム
トラックログ
上ってくるコンクリートミキサー車とすれ違うために待機しているコンクリートミキサー車の後ろに付いて下っていこうと思って5分くらい待ったが、1台上ってきただけ。待つのが面倒になって下ることにした。
13:23に大石越発。
国道265号までは8.4km、20分ほどだった。途中2台のコンクリートミキサー車とすれ違ったが、何とかすれ違いが出来る場所だったのはラッキーだった。そのうち1台は今まで見かけていた緑色の車ではなく、白色で車体にくまモンが描かれていた。
265号で熊本県に入るほんの少し手前に生コン工場があった。良く見ると林道ですれ違ったのと同じ緑色のコンクリートミキサー車が停まっていた。
14:04に道の駅 そよ風パーク着。走行距離132.8km、燃費22.1km/L、平均車速38km/h、走行時間3:28、EV走行距離66.6km(50%)、航続可能距離542km、外気温17度。高度585m。
祖母山がうっすらとしか見えない。ここでこの状態だったら、祇園山あたりから見えるはずもない。国道から入るときに何か雰囲気に違和感を感じたが、国道沿いの物産館は休みだった。そのためトイレが使えず、奥の方にあるトイレまで車で移動。
14:16に道の駅 そよ風パーク発。
14:48に道の駅 あそ望の郷くぎの着。走行距離159.9km、燃費23.4km/L、平均車速39km/h、走行時間4:04、EV走行距離83.0km(52%)、航続可能距離515km、外気温19度。高度426m。
いつものごとく湧き水を汲んだ。前回来たときもそうだったが、湧き水の量がかなり少ない。売店に行ったら、ツルハナシノブがあったので購入。ツルハナシノブは前にも買ったことがあるが、夏の暑さに耐えられなかったのか、枯れてしまった。
15:02に道の駅 あそ望の郷発。
15:08にヴドネ着。走行距離164.0km、燃費23.5km/L、平均車速39km/h、走行時間4:11、EV走行距離84.9km(52%)、航続可能距離512km、外気温18度。高度422m。このパン屋さんは以前は南阿蘇に来たときに良く寄っていたが、ここ数年店が開いていなかったので寄るのは久しぶり。15:11発。
15:21に萌の里着。走行距離173.7km、燃費23.8km/L、平均車速40km/h、走行時間4:22、EV走行距離87.7km(50%)、航続可能距離497km、外気温19度。高度290m。
萌の里の裏の牧野は黒くなっていた。南阿蘇トンネルの手前の山も黒くなっていて野焼きが終わっていたので、こちらも野焼きが終わったから黒くなっているのかと思ったら、家に帰ってから新聞を読んだら、24日の夜のイベントで野焼きする予定だったのが11日の野焼きで飛び火して焼けてしまったとのこと。
15:27に萌の里発。
15:37にプレーリーハウス着。走行距離179.6km、燃費24.3km/L、平均車速40km/h、走行時間4:33、EV走行距離91.0km(51%)、航続可能距離492km、外気温20度。高度169m。15:46発。
16:02に柿の葉寿司本舗着。走行距離187.9km、燃費24.7km/L、平均車速39km/h、走行時間4:49、EV走行距離96.6km(51%)、航続可能距離489km、外気温21度。高度84m。16:11発。
16:25にハンズマン 菊陽店着。走行距離195.1km、燃費24.7km/L、平均車速38km/h、走行時間5:04、EV走行距離99.9km(51%)、航続可能距離483km、外気温22度。高度88m。16:33発。
16:58に道の駅 泗水着。走行距離210.8km、燃費25.0km/L、平均車速38km/h、走行時間5:30、EV走行距離108.9km(52%)、航続可能距離471km、外気温20度。高度47m。17:02発。
17:47に自宅着。走行距離235.2km、燃費25.7km/L、平均車速38km/h、走行時間6:16、EV走行距離126.2km(54%)、航続可能距離444km、外気温19度。車の総走行距離13,343km。
帰ってきてから、昨年8月に諸塚山・赤土岸山に登りに行った帰りにモンベル南阿蘇店で購入した九州脊梁登山地図を持っていかなかったことに気がついた。何とも間抜けな話である。