諸塚山
北登山口〜諸塚山〜西登山口〜北登山口 2017/8/18前回登った小川岳に行くときに五ヶ瀬町の下の方でも朝は21度と涼しかった。このあたりの山に朝のうちから登ってさっさと降りてくれば夏でも暑い思いをしないですむだろうということで諸塚山に行くことにした。
8/17(木)
盆前に車を車検に出したのだが、車検証が届いたというのでディーラーに取りに行った。ついでに取りに行く前にガソリンスタンドに寄って給油して、ドラッグストアに寄って明日の食料と虫さされの薬を購入。虫さされの薬は前回の小川岳に登ったときに携帯する必要性を感じたのとヒル対策。祖母山系の山にはヒルがいる山域があると言うことを聞いた。丹沢山系ではヒルの被害の増加がシカの数が増加と関連しているのではないかと言われているらしい。宮崎、大分あたりの山では結構シカを見かけるのでヒル対策は考えておいた方が良さそう。ヒルに張り付かれたときには普通は塩水をかけて剥がすらしいが、山に行くのに塩水を持ち歩くのは面倒。塩水で剥がれるなら虫さされの薬をかけてやれば身悶えして剥がれるだろうし、虫さされの薬なら山の中で役に立つ可能性は高そう。
8/18(金)
荷物の積み込みのために外に出ると東の空には細い月とオリオン座。オリオン座の上の方にもベテルギウスとは違う赤い星。後で調べてみるとおうし座のアルデバランとのこと。さそり座は見えるだろうかと南西の方の空を見たが見えなかった(実はこの時間は既に地平線の下)。
4:00に自宅発。外気温26度。航続可能距離796km。
県道30号のJTのあたりでフロントガラスに小さい水滴。霧雨かと思って車を走らせているとそのうち路面が濡れた状態になり、さらに車を走らせると雨が降ってきた。東京では8月に入って以降、連日降雨のない日はないそうだが、家の方では8月に入ってからほぼ連日晴れで14〜16日にまとまった降雨があったもののかなり地面は乾燥気味。ここで降っている雨が家の方でも降っていると良いなと思ったのだが、降らなかったようだ。
そのうち雨は上がり、大津町に入る頃には雨が降っていないどころか路面が乾いていた。菊陽町のあたりだけ降っていたようだ。
県道38号の坂を登りきる直前にイタチが道を横切った。イタチと言えば今年に入ってから家の庭で数回見かけている。
西原村に入ると雲が湧いていて曇っていた。今日は山の上の天気はイマイチかも。
県道28号の熊本地震の通行止区間の迂回路で道の脇にネコがいた。本来だったら車の通行量が少ないここが迂回路になったため交通量が増えて犠牲になったネコもいるのではということが頭に浮かび、車のスピードを落とし気味にして進んだ。
南阿蘇村あたり雲が多く、阿蘇山は隠れていた。進行方向の高森あたりは雲が切れていて山が見えた。見えていた山は清栄山あたりだろうか?
5:26に道の駅 あそ望の郷くぎの着。走行距離64.9km、燃費23.2km/L、平均車速45km/h、走行時間1:27、EV走行距離29.9km(46%)、航続可能距離722km、外気温22度。高度428m。5:40発。
国道265号、325号の分岐で点滅していた信号が点滅から点灯に変わり赤信号に。時刻を見たら6:00だった。
6:02に展望休息所着。走行距離82.9km、燃費22.1km/L、平均車速44km/h、走行時間1:52、EV走行距離36.8km(44%)、航続可能距離703km、外気温21度。高度758m。
この休息所は景色を見ながら休憩するのには良いのだけど、トイレがないのが残念。
6:08に展望休息所発。
6:18に道の駅 そよ風パーク着。走行距離91.5km、燃費23.5km/L、平均車速44km/h、走行時間2:04、EV走行距離43.7km(48%)、航続可能距離699km、外気温23度。高度591m。
ここの道の駅でこの時間に使えるトイレはちょっと奥の方へ行かなければなかった。
6:25に道の駅 そよ風パーク発。
6:37に馬見原駐在所横駐車場着。走行距離100.9km、燃費24.2km/L、平均車速44km/h、走行時間2:17、EV走行距離49.4km(49%)、航続可能距離687km、外気温22度。高度545m。
登山口までの最後の休憩。トイレは常時開放されているようだ。国道265号を走っているときは雨が降りそうな気配はなかったが、このあたりは雨を降らせそうな雲がどんよりと上空を覆っていた。もしかして山の上だけ雨に降られるパターンか?
6:43に馬見原駐在所横駐車場発。
国道218号を走り、途中から国道503号へ。最初の9kmほどは2車線道路だったが、その先は1車線。先に進むと「国道とか嘘つくなよ。林道だろ。」と言いたくなるような道になった。飯干峠はヘアピンカーブが続いた。国道503号が酷道と呼ばれているのを知ったのは家に帰ってきてから。
503号を走っているうちに雲がなくなり晴れてきた。
大仁田山の風車が木々の間から見え出してしばらくすると道路にシカが5頭程いた。う〜ん、のどかな国道だ
大仁田山、黒仁田山も登れるらしいので今後のために大仁田山方向へ向かう道の分岐をチェック。大仁田スカイラインと呼ばれる未舗装の道だと書かれているページがあったのでダートだろうと思っていたが、分岐のところから見えた道は舗装されていた。あとで調べてみると風力発電所の建設のため途中までは舗装されているらしい。
大仁田スカイラインの分岐からほんの少しで503号を離れ林道へ。林道をちょっと行くと赤土岸山の登山口。ここは諸塚山に登った後に登る予定だったが、登山口のあたりはちょっと藪っている感じで登れないかもと思った。
途中の諸塚山の西登山口を通過してそのまま直進。今回は最初の計画では新・分県登山ガイドのコース通り西登山口からの往復の予定だった。出発前日にネットでリサーチして北登山口からの周回ルートの所要時間は2:30位で、西登山口〜林道歩き50分位だと言うことがわかったので周回コースにすることにした。南登山口の情報は探してみたが見つからなかった(今回、実際にコースを歩いて、南登山口分岐で通行不可だと知った)。北登山口の方が西登山口より標高が低いので林道歩きが下り道になるように北登山口から登ることにした。
前の方から日が差して、フロントグラスが光って前が良く見えないので自然とノロノロ運転に。ノロノロと車を走らせているうちにやっと北登山口に到着。車は登山口のほんの少し先へ駐車。
7:32に北登山口着。走行距離128.3km、燃費22.3km/L、平均車速41km/h、走行時間3:08、EV走行距離63.8km(50%)、航続可能距離654km、外気温21度。高度1016m。
この駐車ポイントは事前に見つけておいた。ネットで見つけた山行記録で北登山口から登っている人たちが駐車した場所の写真があったのでどこかしら停められる場所はあるというのはわかっていたが、ここの林道はGoogleストリートビューのデータがない道でGoogleストリートビューでは確認は不可能だったが、Goobleマップの航空写真ではおそらくここだろうという場所がはっきりと写っていた。到着してみると砂利敷きの場所の奥に電力関係の施設があり、入口の脇にお社があった。
お社は猿越山神社と書かれていた。お社の脇には三角点があり、スマートフォンに入れた国土地理院の地図を見てみると標高の記載があり1011.6mとなっていた。
北登山口〜元宮
北登山口には「諸塚神社元宮 登り口」、「諸塚山北登山口」という案内の道標が立っていた。
登山口の横を通って、駐車地点に向かうときに見た感じでは何となく先が藪ってそうな雰囲気の登山口だったので少し不安だった。とりあえず少し歩いてみて藪ってそうだったら、引き返して西登山口から登るつもりで出発。歩き出してみると藪っているところは無くて一安心。
北登山口からの情報があまりなかったので勝手に地形から尾根筋を登っていくものと 思い込んでいたが、歩いてみると最初は尾根筋を登っていたが、途中からは山肌を巻いていく感じの道だった。そもそも国土地理院の地図をちゃんと見ていれば山肌を巻いている道だということはわかることだった。
山肌の道なので細く、万が一、転げ落ちたら登ってくるのに苦労しそうな感じの場所を通っていた。途中に1箇所ほど大雨が降って土砂崩れが起きたら通行できなくなりそうな所はあったものの通行に困難な場所はなかった。
途中から道がやや不明瞭な箇所があり、もしかして林業関係者の作業道かと不安になったが、天然林の中の道が作業道のはずはないと思った。少し木々の間から展望がある場所があり、そこの先が植林だったのでもしかしてやっぱり作業道かもしれないから、地図を見直そうと思ったときに前の方に白い看板のようなものが見えたのでとりあえずそこまで行ってみることにした。
行ってみるとそこには小さな社があった。白い看板はその社の案内で次のようなことが書かれていた(実際には縦書き)。
諸塚大白太子大明神 | |
祭 神 | |
国常立命 国狭槌命 豊斟渟命 泥土煮命 | |
沙土煮命 大戸之道命 大戸之邊命 | |
面足命 惶根命 伊弉諾尊 伊弉冊尊 | |
由緒及び沿革 | |
諸塚山はそのなの示すように、多くの神代の古墳のあ る山と言われ、古来神山として広く住民から敬われてき た山である。諸塚山の南側九合目の宮地に、諸塚大白太 子大明神として、尊敬されていたお宮がこれである。そ の祭神は前記の諸神と伝えられているが、諸冊二神以前 の神々が多く祭られている神社は、全国的にも珍しいと いわれている。また諸塚山が神山として、修験者の修験 道場として、信仰の霊山であったことも知られていると ころで、英彦山や阿蘇山系の動静を示す記録も、村内に 幾つか残っている。明治四十三年宮崎県の達しで、諸塚 山頂から麓の立岩に移転し、付近の小社と合社され、明 治四年七ッ山神社と改称されたが、大正十四年再び「諸 塚神社」と改称して、現在に至っている。旧諸塚大白太 子大明神の宮跡にはわずかに石祠だけが残されていた。 しかし諸塚山信仰は根強いものがあり、昭和の末ごろか ら諸塚神社元宮再建の議が高まり、一部篤志家と広く村 民の浄財により、諸種の悪条件を克服して、平成二年七 月二十七日、総檜づくり銅板葺きの宮居を建立した。こ こに創建以来の旧社名を掲げ、還宮式を厳修して神山を 敬い、祖宗の道徳を偲び、報本反始の念のよりどころと し、毎年の例祭日を定めた。 |
帰ってきてからメモがわりに写しておいた案内板の写真を見てみると、文中に明治四十三年の記述の後に明治四年の記述があり、年号が前後していて、説明がわかりにくい。山行中にメモがわりに撮った写真やインターネットで調べてみたがどうやら以下のようなことらしい。
- 明治四年に麓にあった神社が七ッ山神社と改称された(同年には諸塚村内のいくつかの神社が改称している)
- 神社合祀政策のための明治三十九年の勅令により明治四十三年に麓の付近の小社とともに七ッ山神社に合社
- 大正十四年に七ッ山神社を諸塚神社と改称
- 西の神前、東の神前と呼ばれる遙拝所があった。
- ほぼ「山頂」なので「諸塚山頂から」と書かれているらしい
- 東の神前があったのは現在の元宮の場所
- 西の神前があったのは西登山口から登ってきて山頂の手前付近らしい
元宮〜南登山口分岐〜諸塚山・諸塚山郷土の森・本宮分岐
元宮から諸塚山への近道の道標があったが、急登と書いてあったからそちらはパス。ここまでの道の感じから道は悪そうだし、その上急登だと疲れそうだったので。
例によって新・分県登山ガイドは一応読んだが、斜め読みで内容が頭に入っていなかった。新・分県登山ガイドは西登山口〜諸塚山〜諸塚山郷土の森〜西登山口のルートが紹介されていて、北登山口からのルートはほんの少し記述があるだけ。紹介しているコースでは通らない諸塚大白太子大明神(元宮)の写真が載っていた。まさかコースにないものの写真が載っているとは思わなかったのでで諸塚大白太子大明神以外にもお社が途中にあると思い込んでいた。元宮〜南登山口分岐の間に元宮 7分という道標があったのでこの先7分でお社があると勝手に思い込んでしまった。南登山口分岐の手前で鳥居をくぐり、南登山口分岐を過ぎて諸塚山・諸塚山郷土の森・本宮分岐まで行ってもお社がなかったのでやっと勘違いに気づいた。
南登山口分岐にあった道標は「← 南登山口」と書かれた下に「(通行不可)」と書かれていた。通行不可なら南登山口の方向を示す必要もないし、通行止めの看板でも建てておけよと思った。が、ふと見ると地面にトラロープが落ちていた。ロープの片方は近くの木に縛り付けられていて、もう片方は木の枝に結びつけられていた。どうやら、以前はロープで通行止めであることがわかるようになっていたが枝が朽ちて地面に落ちてしまったようだ。とりあえず、ロープが結びつけられた枝を近くの木に立てかけて、ロープが目立つようにしておいた。
諸塚山・諸塚山郷土の森・本宮分岐〜諸塚山・諸塚山郷土の森・西登山口分岐〜諸塚山
諸塚山・諸塚山郷土の森・本宮分岐でどのコースを取るかちょっと思案。今回は森の中を歩くつもりで来たので郷土の森の方へ行くことは決めていた。郷土の森を歩いて山頂まで行ってそのまま直接西登山口へ降りるか、山頂から諸塚山・諸塚山郷土の森・本宮分岐まで下ってから再び郷土の森を歩くか。山頂から諸塚山・諸塚山郷土の森・本宮分岐まで下っても5分程度らしいし郷土の森の歩きも15分程度らしいのでグルッと1周して諸塚山・諸塚山郷土の森・本宮分岐まで戻ってくることに決めて歩き出した。
郷土の森は天然林のきれいな森で途中で下の方に7m程の所にブナの大木があり、これを見ることが出来ただけでも歩いたかいがあった。
郷土の森の途中で木々の間から大仁田山方向が見えるところがあり、風車が7基確認できた。
郷土の森から先は北登山口からここまでの道よりぐっと幅が広くなった。所々に木の名前の札が付くようにもなった。諸塚山・諸塚山郷土の森・西登山口分岐まではとにかくフラットで歩きやすかった。
諸塚山・諸塚山郷土の森・西登山口分岐から山頂までも緩い登りで歩きやすかった。
山頂は風景早見板があるわりには木々の間から景色が見える程度。おそらく、早見板を設置した当時よりも木々が伸びてきてしまったのだろう。
諸塚山〜諸塚山・諸塚山郷土の森・本宮分岐〜諸塚山・諸塚山郷土の森・西登山口分岐〜西登山口
ベンチもあったのでそこで軽く食事をしたあと、山頂を出発。山頂から諸塚山・諸塚山郷土の森・本宮分岐まではあっと言う間。
諸塚山・諸塚山郷土の森・西登山口分岐には防水加工したコースの案内の地図があったが退色して見づらい。そこには以下のようなことが書かれていた。
〜古くから敬われていた諸塚山〜 |
修験者の修験道場として、信仰の霊山であったとも いわれています 諸塚山山頂に近い場所に、東の神前跡 (空木ヶ原)、西の神前跡(赤城ヶ原)などがあります ※西の神前は飯干神社草創の地で、明治四十三年 頃、現在の飯干神社に、御神体を下ろして合祀され ました。 |
西登山口 |
最も一般的なルートであり、登 山初心者でも安心して森林浴 など、諸塚山の自然を楽しむこ とができます。 |
西の神前跡 |
大きな窪みがあり、雨水を溜め るため人の手で掘られたと考 えられています。現在は、台風 によって吹き折られた二本の 大杉の株が残っています。 |
北登山口 |
東の宮を経て山頂に至るルー トで、南東方面の展望にすぐれ ています。 |
途中にあったという西の神前跡には気付かなかった。インターネットで調べたところ西の神前は焼失したという記述があったが、もしかしたらこれは西の神前ではなく、飯干神社の事かもしれない。というのは飯母子神社が大正6年に全焼したという別の記述もあったので。
この地図によると南登山口は[32°36'41.2"N 131°16'44.1"E | 32.611437, 131.278925]のあたりにあったらしい。
北登山口までの林道で予想以上に時間がかかり、思っていたより遅い登山開始となったせいで下山も予定よりも遅れているので急いで西登山口へ向かった。途中に丸太の階段が何ヶ所かあったが、そこは傾斜が急だった。
木々の間から大仁田山の風車が見える場所があり、風車の数を数えてみたら8基だった。
西登山口の直前の丸太の階段の道の上に気の早いホトトギスが花を咲かせていた。
西登山口はさすがにメインのルートだけあって、案内板が3つもあった。
諸塚山(大伯山) |
海抜1342.5m |
諸塚山は、昔は大伯山都もいわれ、神楽唄には「剣たつ 諸羽山に分け登り あじろが浜に立つは白波」と唄われて おり、諸羽の山ともいわれいた。山頂には多くの神々の塚 があるので、自然に諸塚となり諸塚山となったようである。 この山は英彦山、霧島の高千穂の峰と共に有名な修験道場 であり、周辺の住民の信仰厚く、天孫降臨の地ともいわれて いた。山頂には伊弉諾伊弉卑命、国常立命、木花開都姫命 大伯太子を祀ってあり、以前は、筑前の山伏、英彦坊も修行 に訪れていたようである。 現在山頂付近は、国有林になっており、ブナ、モミ、ナラ 等の巨木が茂っている。 登山道があちこちから付けられてい るが、ここからは稜線沿いのブナ、アケボノツツジ等の群 落の中を通り、役1時間で山頂に着ける。 |
(諸塚村・諸塚村観光協会) |
みんなの自然です、手で取らず、写真で撮りましょう! |
この案内板は実際は縦書き。
諸塚山縁起 | |
由 来 | |
諸塚山は、諸冊二尊(イザナギノミコト・イザナミノミコト)の 御神稜であるという古い言い伝えを残し、山頂付近には多くの塚 があります。 古くから英彦山系・阿蘇山系の修験場として知られるとともに 近郷の人々から神の山として崇拝されてきました。 八合目の南面には 諸冊二尊他神々を祀る諸塚神社元宮があり、昔は山頂を はさんで東西に神前と呼ばれる遥拝所もありました。 また一説には天孫降臨の地といわれ、神武天皇とは深いつながり があることから、昭和十五年に宮崎県により神武天皇ご巡幸の 地として諸塚神社の境内に顕彰碑が建てられています。 | |
名 称 | |
−諸塚山にはいくつかの別称があります− | |
諸塚山・ |
山頂付近に多くの塚があることから生まれたと言わ れています。文献によれば江戸時代の弘化二年(1845年) にはこう呼ばれていたようです。 |
大白山・ |
冬に山頂が雪でまっ白におおわれることから呼ばれた という説と、高千穂町の方から諸塚村の山頂付近に輝く 宵の明星(金星)によるという説があります。 |
太伯山・ |
一説に日本の皇室の祖が呉(中国)太伯であるとされ 諸塚山はその太伯を祀ったことからその名がついた といわれています。 |
諸羽の山・ |
諸塚の神楽歌にこの名が見られます。 「剣立つ諸羽の山にわけ登る あじろが浜に立つは白波」 |
諸塚村・諸塚村観光協会 |
西登山口〜北登山口
北登山口からここまで誰にもあわなかったので、こんな林道を車で通る人は滅多に居ないだろうから復路の林道は対向車は居ないだろうと思い始めていた。ところが西登山口でそろそろ出発しようとしていると一台のバンが北登山口方向から登ってきた。西登山口を出発して少し歩いたところで今度は黄色いアクアが北登山口方向へ向かっていった。
歩き始めて5分強で展望の開けている場所に出た。新・分県登山ガイドで西登山口から下る途中にあったはずの「展望台」の場所がどこだかわからないような状態だった(もしかして大仁田山の風車が見えたあたり?)ので今回のコースでは初めての展望らしい展望。見えている山は高千穂町、日之影町、延岡市方面の山らしい。「展望台」の場所はわからなかったが、おそらく木々が葉を落とした季節だと展望があり、展望台の場所もわかっただろうと思う。
林道の脇でハギが花を咲き始めていた。あと少し暑さを我慢すればすぐに秋でもう少し標高の低い山でも暑さに悩まされなくなるだろう。
ミンミンゼミが鳴いていた。最初はもっと麓の方で鳴いているのかと思ったが、歩いているうちに周りの森で鳴いているようになった。ツクツクボウシも鳴いていた。ツクツクボウシの鳴き声を聞いたのは今年になってから初めて。
林道の脇の下の方で何か動く気配がしたので見てみるとシカだった。シカを目撃したすぐ後に今度は道の上を動くものが居た。40cm程のヤマカガシだった。ヤマカガシといえば先月末に兵庫県の小学生が噛まれて一時意識不明の重体になったというニュースがあったばかり。
帰りの林道歩きは暑いだろうと覚悟して北登山口を出発したが、意外と涼しく、気付いてみると日陰の場所を選んで歩くこともせずに日向を平気で歩いていた。
道の上を黒い影が横切ったので空を見てみるとトンビが一羽飛んでいた。最初は一羽だけだったが、歩いていくうちに一羽増えて、二羽飛ぶようになった。
あの尾根筋の下が北登山口かと何度か期待を裏切られた。そのうちまた景色の開けた場所に出た。送電鉄塔が見えて、そう言えば車を停めた場所には送電施設があったから、あの送電鉄塔が向かっている先が北登山口なのだと気付いた。
送電鉄塔に気づいたあたりから10分弱で北登山口に到着。駐車地点には西登山口を出発後に見た黄色いアクアが停まっていた。付近にだれも人は居ないのでこの車の持ち主の目的も山登りだろう。
山の中に唐突に送電設備があることに興味がわいて少し眺めてみたが、囲っている柵には「変電設備」というプレート。施設の建物に「合同会社 JRE中九州風力」というプレートがあったので大仁田山の風車の関連設備だとわかった。調べてみると中九州大仁田山風力発電所は2016年9月に完成した九州で最も標高の高い風力発電所とのこと。YouTubeに中九州大仁田山風力発電所 / JREという動画が公開されていて、ちらっと風車の39mあるブレードを起立させ運んでいるシーンがあったがこれが結構興味深かった。
コースタイム
トラックログ
11:40に北登山口発。
次の目的地の赤土岸山登山口へ。涼しいのでエアコンを止め、窓を開けた。窓を開けたのなら、林道を走っている間は対向車が来たら音でわかるようにと途中でカーステレオを止めた。
西登山口を通過するときに白いアクアが停まっていてデイパックを背負った人がまさに登ろうとしているところだった。この山にこの日に登る人は自分を含めアクアユーザーばかり。
赤土岸山に続く