燕岳・大天井岳・槍ヶ岳

中房登山口〜燕岳〜大天井岳〜西岳〜槍ヶ岳〜上高地 2003/8/19-23

今回は、義父が槍ヶ岳に登るのは年齢からいって今回で最後になるであろうというので、そういうことならばと同行させてもらった。槍は過去3回ほど登っているが、一番ポピュラーな表銀座コースで槍ヶ岳に行くのは初めて。

8/3(日)

さわやか信州号の予約をFAXで行った。日曜なので返事が来るのは月曜以降だろうと思っていたら、夜になって返事のFAXが来た。

8/19(火)

行きは久しぶりの夜行バスの利用。出発場所の都庁大型バス駐車場へ向かった。駐車場の前の地下道で義父が前を歩いているのを見つけて合流。

今回はさわやか信州号の白馬ルートを利用して穂高神社前で下車。釜トンネルがネック(※)となる上高地行きと違って大きなバスで、割り当てられた後ろから2列目の席は席が回転するため、多少他の席より広い。そういえば、初めての登山はさわやか信州号の白馬ルートで白馬に登りに行ったけど、バスはこんなに広くなかったような気がする。

22:30にバス出発。下道を走り、11:07に調布ICより中央道、11:35に談合坂SAで休憩。席が広いと喜んだのはぬか喜びで、タイヤに近いのでタイヤの振動が結構伝わってくる。

※ 2005年に新しい釜トンネルが開通したが、それまでの釜トンネルは大型バスが通行できない大きさだった。

8/20(水)

バスは12:21に勝沼ICで中央道を降り、国道20号をひた走り、1:53に諏訪のおぎのやドライブインに到着。その後、国道20号から国道19号を走った後に田沢の駅前で曲がって県道に入り、3:51に穂高ドライブインへ。空を見上げると星が見えた。今年、大接近する火星(27日に最接近)も非常に明るく輝いていた。

穂高神社で下車。単独行の女性と男性の計4人で穂高駅よりタクシー相乗りして中房登山口へ。この単独行の2人は同じコースを歩いており、後に所々で顔を合わせることになった。

中房登山口〜第一ベンチ〜第二ベンチ〜第三ベンチ

登山届けを出して、すぐに出発。第一ベンチで朝食。例のごとく水場で水筒に水を汲んだ。今回は、水の消費が多いと思われるので、いつもの750ccの水筒に加えて500ccのペットボトル入りのお茶を持参した。バスでは眠りが浅く、途中で何度も目が覚めたのでとても眠い。眠いのと朝食が消化不良気味でバテ気味。第三ベンチで少し仮眠をとらせてもらった。

第三ベンチ〜富士見ベンチ〜合戦小屋

仮眠をとった後は普通の体調にもどった。こんなことなら、早めに仮眠を取ればよかった。

合戦小屋〜合戦の頭〜燕山荘

今年は天気が悪かったせいか、合戦小屋で売っているスイカは色が薄いような気がした。いつものごとく、買いはしなかったが、人が食べているのを見ていてそう思った。やはり、800円のスイカより燕山荘のケーキである。

燕山荘〜燕岳〜燕山荘

燕山荘の昼の食事の提供は11時以降と言うことなのでとりあえず、ケーキとコーヒーを飲んだ。荷揚げのヘリがどんどん荷物を運んできていた。それを小屋のバイトが走って運んで行く。

まだ時間も早いので、計画ではパスする予定だった燕岳を往復。コマクサはまだ咲いているが時期的には終わりなので北燕はパス。燕山荘まで帰ってくると小屋のバイトがヘリコプターに乗せてもらって空中散歩を楽しんでいた。いいなぁ。

燕山荘〜ゲーロ岩〜大下りの頭〜喜作レリーフ〜大天荘

二人ともさほど食欲を覚えなかったので燕山荘でお茶をした後に出発。稜線歩きの楽なコースではあるが、ピーカンで暑く、途中で何度か休みつつ歩いた。燕から遠ざかるにつれて、だんだん、雲が出てきて、曇りがちになった。途中、カモシカに出会った。

大天荘までの最後の上りでは、バテてかなりスローペース。大天荘でなにか食べようと思っていたが、昼食は14時までということで食べられず。そのかわり、穂高町営(運営は燕山荘に委託)だけあって、穂高地ビールがあったのでそれを飲んだ。

出発前に見た週間天気予報では明日の天気は良いはずだが、ガスでも出たら登る気が起きないだろうということで、この日のうちに曇りがちで展望は無かったが大天井岳を往復。

この日は本館の常念という部屋が割り当てられたが、2人だけで使えた。大天荘はかなりボロく、部屋の隅には雨漏りのためと思われるシミが畳にあった。受付の時に夕食は肉か魚のどちらにするかと聞かれたので、二人とも肉と答えておいたが、夕食に出たのはハンバーグだった。まあ、山の上だからこんなものだろう。

コースタイム

8/21(木)

昨晩の天気予報では槍ヶ岳は晴一時雨か雷だったが、夜半から雨が屋根を叩く音や風の音が聞こえていた。朝になってみると風は無かったが、霧雨が降っていてガスっていた。

大天荘〜大天井ヒュッテ〜赤岩岳〜ヒュッテ西岳

雨具をつけて出発。大天井ヒュッテまでの道は過去に1回歩いているが、そうでなければ、こんなところを下ったところに小屋があるとは思えない道を下って行く。

赤岩岳手前で少しだけ日が差し、虹が出た。

ヒュッテ西岳で温かい飲み物を頼んで休憩。中房登山口までタクシーを相乗りした女性の単独行者が居たのでしばらく談笑。この人とは抜きつ抜かれつといった感じで昨日は歩いていた。昨日は大天井ヒュッテに泊ったそうだが、そちらもすいていたそうだ。

ヒュッテ西岳〜水俣乗越〜ヒュッテ大槍

ヒュッテ西岳までの道はかなり歩きやすかったが、ヒュッテ西岳からの下りだけは多少悪い道だった。鎖やはしごもあるが1ヶ所を除き、喜作レリーフの所にあるものと大してかわりはない。1ヶ所だけ長いはしごの下りがあり、そこだけは高度感があった。

一番長いはしごの下であった登山者によるとスマップの草なぎ君と稲垣君がテレビ番組の罰ゲームで槍ヶ岳に登ることになって、昨日槍ヶ岳山荘に泊ったらしい。(※)

少し行くと槍沢の大曲付近の雪渓が見えた。雪渓上に紅ガラのマークが見えたので、アイゼンを持ってこなかったことを後悔した。雪渓の上に人がいるのが見えた。

途中から岩にペンキで数字が書いてあったが、これは槍ヶ岳からの水平距離のようだ。ヒュッテ大槍は1キロ近辺。

※ 9/22にこの様子が放送されていた。罰ゲームの内容はアルプス一万尺の歌詞そのままに小槍の上でアルペン踊りを踊るというものだった。小槍は岩登りの経験がないと登れないだろうと思っていたら、小槍より大槍の方が高いという理由で登頂先を大槍に変更という感じでうまいことかわしていた。彼らは我々が中房登山口を出発した日にピーカンの中、新村橋をスタートして槍沢を登って、槍岳山荘に泊っていた。夕方からガスって来たとは言え、あのピーカンの日に一気に槍沢を登り詰めたのはさぞ暑かっただろう。その翌日に登頂していた。その日は我々は大天荘からヒュッテ大槍のコースを歩いて、午後に登頂しているが、彼らは午前中に登頂したようだ。我々が歩いているときは風はそんなに強くなかったが、槍の方は強かったようだ。1日前か後ろにずれていたら晴れているところを登頂できたのに気の毒。

ヒュッテ大槍〜槍岳山荘〜槍ヶ岳

ヒュッテ大槍に到着後、すぐに宿泊手続きを取り、昼食をとった。今日のうちに登頂して、明日天気が良いようなら明朝再度登頂、天気が悪ければ氷河公園を見てから下山ということにして、小屋のザックを借りて(小屋で登頂用にザックを貸し出していた)、必要な物だけを詰めて、山頂へ。槍ヶ岳山荘前でちょっと休憩した後で登頂開始。ガスってはいたが、山頂で短時間だけガスが晴れて、槍岳山荘、小槍、裏銀座側の山の山腹、谷が見えた。

槍ヶ岳〜槍岳山荘〜ヒュッテ大槍

登頂後は槍ヶ岳山荘でお茶をしてからヒュッテ大槍に戻った。戻る途中から天候が回復し出して、常念方面が見え始めた。

この日のヒュッテ大槍の宿泊者は25人で楽々大の字になって眠ることが出来た。

22時ごろに何故か目が覚めた。小屋の前に出てみると満天の星空。天の川がはっきり見えた。星が多すぎて星座を見分けることが難しいが、さそり座を確認。三脚は持ってきていたが、レリーズを忘れたので星の写真は撮れず(レリーズはザックの中の定位置になかったので忘れたと思っていたのだが、家に帰ってから、カメラをパッキングしていた袋の隅にレリーズがあるのを発見)。

コースタイム

8/22(金)

ヒュッテ大槍〜槍岳山荘〜槍ヶ岳〜槍ヶ岳山荘〜ヒュッテ大槍

快晴。小屋のザックを借りて、水とカメラを詰めて山頂へ。山頂では近くの山はもとより、浅間、白山、御嶽、富士山、南アルプス、八ヶ岳まで見えた。何故かこういうときに限って、デジカメの電池切れ。予備を持ってきているのだから持ってくればいいのに、小屋においてきてしまっているし。

サクサクっと降りるつもりが、前を行くオジジとオババのグループのせいで時間がかかった。なんで登りより降りに時間がかけなければならんのだ。すぐ後ろをガンガン降ってきているのは見ているはずだし、よける場所は十分にあるのに。

ヒュッテ大槍〜岩小屋下〜大曲〜ババ平テン場〜槍沢ロッジ

稜線はトウヤクリンドウが顔をのぞかせ秋の到来を感じさせたが、ヒュッテ大槍から降って、槍沢の雪渓まで来ると、雪渓周辺はまだ、ハクサイチゲ、シナノキンバイ、チングルマなどの夏の花が咲いていた。

太陽に炙られてひたすら暑い。出発前の最初の予定では、ヒュッテ大槍到着日に晴れていたらその日のうちに登頂し、翌日は山頂に登らずに氷河公園を見てから、上高地に降る予定だったが、夏の暑い時期に氷河公園を見てから、上高地に降るのはかなりの根性が必要だろう。休前日とあって登りの人が多い。登りの人はさぞかし暑いことだろう。早く樹林帯の木陰を歩きたいということばかり考えていた。

大曲近辺の雪渓はあるものの雪渓の上は歩く必要なし。結局アイゼンも必要なし。雪渓の上に小型のパワーショベルが、ヘリですぐにでも運べるようにネットがかかった状態でおいてあった。下山後の新聞で知ることになるのだが、昨年の11月の異常な大雪のために下山中に行方不明になった殺生ヒュッテの従業員の方の最後のご遺体が昨日収容されたとのことでそのための重機のようだ。昨日、上から雪渓に人が居るのがみえたのもご遺体の捜索の人だったのだろう。

槍沢ロッジ〜二ノ俣橋〜一ノ俣橋〜槍見河原

槍沢ロッジで休憩していると、ヘリが来るので建物の中に入れとの従業員の指示。そろそろ出発しようかと思ってたのに。しばらく、来なかったので出発するかとなった頃にヘリはやって来て、すぐに去っていった。前回の槍ヶ岳山行の時もここで休憩しているときにヘリが来たことを思い出した。

二ノ俣橋が新しくなっていた。2000年の11月に徳沢に泊ったときに、二ノ俣橋の掛け替え工事をやったという人と一緒になったので、新しくなったということは事前に分かっていたが。とは言え、古い橋ってどんな感じだったっけ?

槍見河原〜横尾〜徳沢

槍見河原で大休止。昼食は嘉門次小屋で岩魚ということで、少しだけつなぎの食事。木々の間から槍が見えた。

横尾でも少し休む予定であったが、混んでいたのでパスして徳沢で休むことにした。徳沢園にシャーベットがあったので食べた。

徳沢〜明神〜嘉門次小屋〜上高地アルペンホテル

嘉門次小屋でかなり遅めの昼食。当然、岩魚定食。

二人とも結構疲れているのと時間的にまだ早いのでゆっくりと歩いていった。河童橋にかなり近い場所でサルに遭遇。

河童橋まで来るとやはりそれなりに人がいた。早々に上高地アルペンホテルに行ってチェックイン。

コースタイム

一風呂浴びて、フロントのホールでコーヒーを飲みつつ新聞を読んでいたら、窓の外をゆっくりと猿が歩いて行った。このあと、部屋に戻って窓から外を眺めているとまた猿がいた。

中房登山口からタクシーを相乗りした女性登山者とまたここでで会った。北穂に行く予定だったが、体調がイマイチなので降りてきたとのこと。ヒュッテ西岳で我々は上高地へ下山後に上高地アルペンホテル泊で、ここの相部屋はわりと良いという話をしていたので、それでここに泊ることにしたそうだ。

夏のためか夕食はわりとさっぱりしたものだった。運動した後なのでミッチリしたものが食いたかったのだが、こればかりは仕方がない。上高地地ビールという名前でメニューに載っていた穂高地ビールを頼んで飲んだ。なんか普通のビールを頼んで飲んでいる人もいた。なんでこんな所まで来て、どこに行っても置いてあるビールを頼むのか少し不思議。

8/23(土)

名残は惜しいが、帰宅までの時間を考えて、朝食後、 8:30のバスで上高地を去った。

国道158号は直線化が徐々に進んでいて、安曇村役場の前を通らなくなっていた。

朝は穂高に雲がかかっていたが、だんだん雲が無くなって来ていて上高地線の車中からは常念、鹿島槍などが見えた。近くにはファインビュー室山が見えた。ここが上高地線の車窓から見ることが出来るということははじめて知った。いつもはたいてい車中で寝ているから無理もないか。

松本でおみやげなどを買った後に昼食を取り、あずさ62号に乗って帰った。

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