燕岳
有明荘〜燕岳〜有明荘 2000/8/6-87/18(火)
みどりの窓口で急行アルプスの指定席を確保。
8/6(日)
急行アルプスの車中で待ち合わせ。今回の同行者はM氏夫妻。今回は旦那の方から山に登りたいと相談を受けて、それなら燕が良いだろうということで決めた山行。
急行アルプスは定刻通り出発。指定席は全部発売済みと車内放送で言っていたわりには私の横の席はずーっと空いていた。甲府で多少空いた。
8/7(月)
穂高駅で降りて南安タクシーが運行する乗合バスに乗った。以前運行していた松電のバスと同額の1,610円。結構足元のゆったりしたマイクロバスで40L位のザックならひざに抱えることなく足元における。
有明荘で下車。実は同行者のM氏が腰を痛めたため、M氏夫妻は今日は登れるところまで登ってから引き返して有明荘に泊まる予定で予約をしてある。M氏夫妻の登るのに不要な荷物を有明荘に預けて、奥さんがわざわざ作ってきてくれた朝食を食べた後に出発。
有明荘〜中房登山口〜第一ベンチ
まずは第一ベンチで休憩。いつものごとく水場で水を汲んだ。
第一ベンチ〜第二ベンチ〜第三ベンチ〜富士見ベンチ〜合戦小屋
M夫妻は初心者のためゆっくり登っていって、10時過ぎに合戦小屋に到着。旦那の方は腰は大丈夫なようだが、ふくらはぎにかなり疲れを感じている様子。登山口では晴れていたが、富士見ベンチあたりでガスって来た。
合戦小屋〜合戦の頭〜燕山荘
合戦小屋を少し登ったあたりからポツポツ雨が降りだし雨具を着た。燕山荘に着く頃には本格的に降りだした。でも安曇野の方がわりとはっきり見えて、そちらは晴れている様子。とりあえず、燕山荘のサンルームで3人でケーキセットなどを食べた。
旦那の方は疲れたのでそのまま燕山荘で休憩。私と奥さんのふたりで燕岳の山頂と燕と北燕の間のコマクサの群生地を見に行った。出発したときは雨が降っていたが途中で上がって、槍、大天井などがたまに顔を覗かせた。
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コマクサの群落は見事だったが、接写するにはちょっとしおれ気味のものばかりだった。接写をするなら、やはり7月中にこないとダメだろう。
明日も天気が悪そうだし、初心者のM夫妻だけで下らせるのもちょっと心配なので有明荘に電話を入れて相部屋の予約を入れた。今年から有明荘は穂高町から委託を受けて燕山荘が運営しているので燕山荘と同じくらい居心地が良さそうだということも少し頭にあった。
燕山荘〜合戦の頭 〜合戦小屋
燕山荘を出るときは曇ってはいるものの裏銀座の山がガスの合間に顔を覗かせる状態だったが、合戦の頭あたりからまたガスり出して、雨もポツポツ降ってきた。ゴロゴロと雷鳴も遠くに聞こえた。
合戦小屋〜富士見ベンチ〜第三ベンチ
ペースが遅く、下山時間が遅くなりそうなのと雷が心配なので富士見ベンチより休憩を5分しか取らないことにした。
第三ベンチ〜第二ベンチ〜第一ベンチ
第二ベンチあたりで雨が本降りになってきたので雨具を着た。第一ベンチでM夫妻は休憩、私はいつものごとく家に帰ってからコーヒーを淹れる時に使うために水を汲んだ。
第一ベンチ〜中房登山口〜有明荘
富士見ベンチでこのペースだと登山口には17:00〜05かなと思っていたが、ほぼ予想通りの時間に着いた。これもM夫妻が雨の中、慣れない山道をしっかりペースを守って歩いてくれたおかげ。
受付を済ませて部屋に行くと相部屋は20畳の部屋に自分を含めて6人とかなりゆったりした状態。部屋もなかなかきれい。荷物をおいて早速風呂へ。内風呂も露天風呂も広くてゆったりしていた。シャンプー、ボディシャンプーもあった。今まで燕から下山した後は中房温泉で汗を流していたが、今後は有明荘を利用しようと思った。中房温泉は風呂の数は多いのだが、狭いので混んでいることが多い。
夕食時に無事下山を祝して乾杯。M夫妻はどちらかというと下戸なので葡萄ジュース、私は穂高地ビール。このあたりだと安曇野地ビールの方が有名だが、自分は穂高地ビールの方が好き。食事もなかなか良い。部屋はきれいだし、風呂も良いし、食事も良いので1泊9,930円はとても安く感じた。
コースタイム
8/8(火)
天気が悪いかと思ったら晴れ。山の上で朝を迎えられないのはちょっと残念だが、山の木々の緑をみつつ朝風呂に入っていたらすごくゆったりした気持ちになって、すっかり満足してしまった。
9:33の乗合バスで穂高駅へ。わりと空いていた。どうもタクシー利用者の方が多いようだ。
まだ昼食には早いので11:07の電車で松本に出た。電車は2両編成で混んでいた。観光シーズンだから仕方がない。
松電上高地線の隣のホームに到着。松電の臨時の切符売場があったが、そこでちらっと見た張り紙では古い方の車両は今年限りで引退らしい。
蕎麦と馬刺を昼食に食べて、いつものごとく酒屋に寄ってから、駅前で生のブルーベリーを土産に買った。その後は12:52発のあずさ62号の自由席で帰った。この電車は上諏訪までは空席があったが、小淵沢では通路まで一杯の状態になっていた。