燧ヶ岳
尾瀬御池〜燧ヶ岳〜沼山峠 1999/8/27-298/27(金)
明日は天気が悪そうだなどと考えつつ、 池袋のサンシャイン文化会館で沼山峠行きの夜行バスに乗った。今回の同行者はYとN。
御池についた時点で天気が悪かったら沼山峠まで行って尾瀬沼一周にコース変更することで話がまとまった。
8/28(土)
爆眠していたら、いつのまにか尾瀬御池に着いていた。今日はバスの規制日で七入でシャトルバスに乗り換えかと思っていたら、実は規制日ではなかった。心配していた天気も大丈夫なようだ。
尾瀬御池〜熊沢田代〜俎ぐら〜(長英新道)〜分岐〜長蔵小屋〜沼山峠
朝食後に出発。いつもながらのどろどろべしゃべしゃの道。この道に多少うんざりしつつも快調に歩いて広沢田代へ。ちょっと休んだあと熊沢田代へ出発。ちょうどよい間隔で湿原があるのでこのコースは楽しい。熊沢田代で大休止。ここの湿原は尾瀬ヶ原の湿原よりモウセンゴケが多いようだ。そこかしこにモウセンゴケが生えていた。もうちょっとゆっくりしたいと思ったが後ろから団体が来たので出発。このあたりから右膝がちょっと痛み出した。
途中、暑いので休み休み歩いていたら、あっさりと俎ぐら。登ってくるまでは暑かったが、山頂は風があって結構寒かった。 YとNに柴安ぐらに行くかと尋ねるとパスとの答え。今回の面子はこのへんは結構あっさりしている。ピークにいくよりとにかく歩くのを楽しめれば良いのだ。寒いのと今から下れば11:45のバスに乗れそうだということで山頂にはちょこっとしかいなかったが下るということで意見が一致。檜枝岐のそばと温泉を目指して一路下った。登りで痛くなりだした膝が下りで本格的に痛み出した。強い痛みでないのでそのまま無視して下った。
樹林帯に入るまでにあざみの群落や、赤とんぼの大群が目を楽しませてくれた。このころから雲がかかってきた。山頂まではよい天気だったのはラッキーだった。
樹林帯に入ると下れど下れど樹林帯で眺めはない。登って来る人の何人かに頂上はまだまだですか?と聞かれたが、はいその通りと答えるしかない。
勾配も緩くなりもうそろそろかと思いつつ高度計を見るとまだ1700メートルを切っていなかった。そういえば、前にこの道を下ったときも勾配が緩くなってから結構歩いてから沼についた記憶がある。途中で登ってくる人にまたもやまだまだですか?と聞かれた。沼までの距離の方が近いところでそういうことを聞かれるとこの人たちは大丈夫かいなと思ってしまうが、だらだらした道を登って来たのだからそう聞きたくなる気持ちは良くわかる。右手に浅湖湿原の端と思われる開けたところが木々の合間に見えるようになってから結構歩いてからやっと沼へ着いた。
沼に着いた時は11:45発のバスにはすでに間に合わない時間。膝を痛めて歩くのが遅くなってとはいえ、どうも地図のコースタイムがちょっと短いようだ。
ここから大江湿原までは昨年か一昨年に新しい木道が作られ快調に歩ける。この時期は人のいない時期のようで大江湿原まではほとんど人とすれ違わなかった。
次のバスは14:10なので長蔵小屋の休憩所で休憩。昼食をここで取る誘惑に駆られたが檜枝岐の蕎麦屋まで我慢することにした。
長蔵小屋を出発し、左手に行く道との分岐あたりからでも平野家の墓あたりにヤナギランが咲いているのがわかった。大江湿原にはアキノキリンソウ(?)がそこかしこに咲いていた。
沼山峠の展望台は団体が陣取っていたからパス。
そのまま歩いてバスの出発時間より30分以上も前に沼山峠のバス停に着いた。
コースタイム
14:10のバスに乗って檜枝岐へ。バスには半分位しか乗っていなかった。その半分も尾瀬御池で降りていった。
14時半頃にやっと蕎麦屋に入って檜枝岐名物の裁ちそばにありついた。ここでは大盛り禁止宣言をした。今日泊まる民宿は夕食の量が多いのだ。
そばを食べた後に民宿に荷物を置いて、駒の湯へ。露天から見た川をはさんだ対岸の木々にはまだ秋の気配はない。
この後は檜枝岐村内を散歩したあと民宿に帰って、夕食。いつも通りのたくさんの量なのでゆっくり1時間ほどかけて食べ終わった。
8/29(日)
この日は帰るだけなのでゆっくり朝食を取って、しばらくくつろいだ。バスに乗る前に昨日行った蕎麦屋にいってまた蕎麦を食べた。朝食を結構食べているのに蕎麦だけは入る。蕎麦は別腹なのである。
10:59のバスに乗った。檜枝岐の尾瀬寄りのバス停でバスに乗ったら、1/3位人が乗っていたが大半が檜枝岐村内で降りていった。いつのまにか眠ってしまい、気がつくと会津高原の直前。バスには我々を含めて10人くらいしか乗っていなかった。会津高原からの電車もしばらくはガラガラだった。