常念岳・大天井岳・燕岳
上高地〜常念岳〜大天井岳〜燕岳〜中房温泉 1999/8/21-248/21(土)
急行アルプスの指定席が取れなかったため22:30頃に新宿駅に行って並んで自由席を確保。
どうも土曜日に東京に出て遊んでから急行アルプスで帰る人が多いようで、結構普通の格好の人がのっていた。甲府でかなり席が空いた。
8/22(日)
出発直前にどたばたしたため、朝食を買っておらず村営食堂で朝食。何を食べるか決めるのが面倒なので上高地だからってことで上高地定食を頼んだ。以前はこの定食についてくる岩魚の塩焼きはガスで焼いたべちゃべちゃのものであったが、いつのまにか炭火焼きになっていて客から見える場所で焼いていた。
上高地BT〜明神〜徳沢〜横尾
この日は蝶ヶ岳ヒュッテまで、明日が常念小屋の予定であったが、今日中に常念小屋まで行こうかという考えが頭に浮かんだ。実はかなり仕事が忙しい状態だったのだが、夏になったのに盆過ぎまで山に登れない欲求不満とずっと忙しかったためキレてしまって、仕事を半ば放り投げて来たのだった。食事をしているうちにだんだん冷静になってきて、一日早く切り上げた方が良さそうだという考えが浮かんできたのであった。
とりあえず、横尾から登って稜線に出た時間で常念小屋まで行くかどうか判断することにして出発。
歩き出すとなんとバスターミナルから河童橋まで舗装道路になっていた。帰りの電車のなかで読んだ新聞で河童橋近辺のケショウヤナギが樹勢が弱っていて、その一因が観光客による踏みつけというようなことがのっていたが、舗装道路はそれ以上に樹勢弱らす原因になるのではないだろうか。
横尾まで快調に歩いた。
横尾〜槍見台〜蝶ヶ岳分岐〜蝶槍〜常念岳〜常念小屋
上高地に着いた時点で曇っていたが横尾でポツポツ降りだした。カッパを着るほどでないのでそのまま登りにかかった。途中、結構降ってきたのでカッパを着た。思い起こしてみれば、ここの登りはカッパを着て登った記憶が多い。よほど、巡り合わせが悪いのであろう。雨はすぐやんだので途中でカッパを脱いだ。
稜線に出た時点で12時前だったので、常念小屋まで行く決心をした。蝶槍から常念を見ると近く見えるが常念まではアップダウンがあり、かなり遠い。蝶槍からの下りの時間を計ってみたが30分かかった。このあと降りた以上の距離を登り返さなければならない。
展望はほとんどなかった。ごくたまに安曇野が見える程度。花はトリカブトやハクサンフウロが咲いていた。リンドウやトウヤクリンドウもあったがまだつぼみの状態。
なんとか16時に常念の山頂に着いた。15時半ごろまでに山頂に着くつもりであったが、常念の手前のピークや常念の登りでペースが落ち、意外と時間がかかってしまった。50分かけて常念小屋まで降りた。昭文社の地図のここの下りのコースタイムは少し短めのような気がする。
常念小屋は今年で80周年ということで記念の木の札を貰った。10794と数字が書いてあるがこれは今年の宿泊客の通番であろうか。
常念山頂でなんとなくワインが飲みたい気分になったので小屋でハーフサイズのワインを買って、飲みつつ食事。その後はワインの酔いも手伝ってすぐに深い眠りに落ちた。
この日はすいていて大の字になって寝た。実はこの日に泊まった部屋は以前にも泊まったことがある大部屋だったのだが、前回(7月下旬)はすごい混みようだった。一畳に3人超の状態だった。聞くところによるとその日は某社の100人以上の団体が登っていて、その日は常念小屋史上一番の混みようだったそうである。団体とはいっても全員顔見知りというわけでないだろうから、わざわざ混む時期にそんな大人数で登ってくることもなかろうに。非常識なことである。
コースタイム
8/23(月)
常念小屋〜大天井岳〜燕山荘
この日は快晴。ただし、明日は天気が悪いらしい。この日は燕山荘までの予定だったが、できたら中房温泉まで下ることにして出発。
横通岳を登っていく途中で振り返ると雲海の中に富士山が見えた。快調に歩いて横通岳と東天井岳の中間の鞍部へ。ちょっと登ると右に行く道が廃道になっていた。以前来たときは廃道ではなかったはずだと思って地図(昭文社1996年度版)を出すと地図には廃道になっている方の道がのっていた。左の方のかなり以前来た時(5年以上前)にはすでに廃道になっていた道もまだのっていた。このあたりの地図はあまり更新されていないようだ。
ハイマツの間の登山道を登って東大天井岳へ。見事なまでに晴れ渡り、槍・穂高を始めとして、双六、三俣蓮華、鷲羽、水晶、立山、後立山の展望を楽しみつつ、大天荘へ。大天荘に荷物を置いて、大天井岳頂上まで往復。360度のパノラマを楽しんだ。
大天荘の下りで結構人が登ってくるのとすれ違った。ちょうど、燕方面から来た人が登ってくる時間だったようである。喜作レリーフのところのクサリ場で渋滞しているかと心配したが順調に通過。
稜線からの眺めや登山道の脇に生えているコマクサを見つつ燕山荘へ。燕山荘前に荷物を置いて、燕岳まで往復。戻ると中学生が登って来ていた。名札には穂高中学とあった。大人数をよけつつ下るのはいやだったので中学生が登りきるまで待つことにした。ここで生ビールでも飲みたかったが、これから下らなければならないのでコーヒーにしておいた。展望はまだ良かったが安曇野側からだんだん雲が上がってきていた。
燕山荘〜合戦の頭〜合戦小屋〜中房登山口
中学生が登りきったところで、下り始めた。合戦小屋に着くと中学生の後続がまだいた。ここでやり過ごせたのはラッキー。
順調に下って第一ベンチへ。ここで水場に行って水を汲んだ。これは家に帰ってからコーヒーを淹れるのに使う。
中房温泉に着いて帳場で宿泊の手続きを済ませて部屋へ。相部屋は一杯で個室だが古い方の建物になった。ウェストンが泊まった棟とのこと。部屋はボロいがまあ寝るだけだから別に良い。
部屋に荷物を置いて、菩薩の湯へ。今日一日でかなり日焼けしていて、痛くてなかなか湯船に浸かれない。中房温泉にはいくつか温泉があるがこの日焼けでは温泉巡りどころでないと悟って、この後は部屋から一番近い内湯にしか行かなかった。
中房温泉の宿泊料は8,500円だった。食事の内容からいくとちょっと高いように思えるが、山の中のだから仕方あるまい。ただし、特別料理の馬刺を頼んだが、1人前2,000円はちょっと高いと思った。いままで食った馬刺のなかで一番まずかった。これなら町中まで出て食べれば、同じ値段で上等の馬刺がもっとたくさん食べられる。
コースタイム
8/24(火)
この日は帰るだけ。天気予報通り天気が悪かった。下は曇りだけど、上は雨だろう。朝食の前後に朝風呂を楽しんだ後、9:00にタクシーで中房温泉を出発。
以前は松電バスの穂高駅〜中房温泉の路線があったがこれは廃止になっている。そのかわり今年からタクシー会社の乗り合いバス(マイクロ?)があるそうだ。これも運行日に要注意である。運行日は燕山荘または中房温泉のホームページに掲載されている。ちなみにこの日は運行なし。
燕山荘 | http://www.enzanso.co.jp/ |
中房温泉 | http://www.nakabusa.com/ |
登山口に中学生が大勢いた。タクシーの運転手さんによると須坂市の中学生で下まで大型バスに乗ってきて、下からはタクシーで上がってきたとのこと。
穂高駅までのタクシーは一人で乗ることを覚悟していたが他にも穂高駅までタクシーで行く人がいて、相乗りできたのは自分にとっても自分の財布にとっても幸運だった。
大糸線で松本に出ると晴れていたが、北アルプスは雲をかぶっていた。美ヶ原は晴れているようだ。みどりの窓口に行ってみると、あっさり一番早く出発するあずさの指定が取れた。車中からの八ヶ岳は一時全貌を現したり雲に隠れたりで妙な状態。
最近、雷雨で電車が止まることが何度かあったのでちょっとビクついていたが、すんなり新宿について、自宅まで順調に帰ることが出来た。実はこの日の夕方から雷雨があってまた電車が止まったとのこと。順調に帰ってこれてよかった。