万年山
吉武台登山口〜鼻繰分れ〜万年山〜吉武台登山口 2019/5/215/21(火)
4:57に自宅発。外気温13度。航続可能距離573km。
曇ってはいるが雲越しに月が見え、青空も少し見えた。天気予報は今日の天気は一日中晴れという予報だったのにこの雲の多さは何だろう。そのうち雲は減ってくるのだろうか。
山間部は霧が出そうだと天気予報で言っていたが、家の方でもそれほど濃くないが霧が出ていた。菊池川あたりは霧が濃いかと思ったが、山鹿市街をパスする菊池川沿いの裏道あたりではそれほどでも無く、農地があるあたりの方が濃かった。山で霧だと大幅なスピードダウンを強いられ到着が遅れるかと心配したが、山鹿市街の外れあたりで霧は晴れた。
食料調達と現金の引き出しのためマックスバリュへ寄り道。現金引き出しは自動車税の支払いのため。イオン銀行の口座は旅行とかで便利なのでかなり前に作った。イオン銀行のATMはイオン系のスーパーに必ずあり、営業時間内は利用料無料な上にマックスバリュだと24時間営業なのでかなり便利。とは言え、コンビニATMで利用料無料の銀行が増えてきたのでメリットは小さくなってきたけど。
5:34にマックスバリュ 山鹿店着。走行距離24.1km、燃費22.7km/L、平均車速38km/h、走行時間0:38、EV走行距離12.5km(52%)、航続可能距離540km、外気温12度。高度51m。
食料を調達後にATMで現金を引き出そうとするとエラーになった。予定していたより遅れ気味で時間が惜しい時に限ってこういうトラブルに見舞われる。こう言うときはたいていカードのIC部分が汚れているためなのでIC部分をフキフキするとエラーが解消する。結構、汚れていたようでフキフキと引き出し操作を数回やって、やっと引き出せた。
5:45にマックスバリュ 山鹿店発。
国道387号の途中の歩道と車道の間の植樹帯で何か白い花が咲いていた。よく見ると植栽シートを張ったところにイワダレソウが植えられているようだ。元々はよくあるツツジとかの低木の植樹帯だったのだろうが、維持できなくてイワダレソウに植え替えたのだろう。
立門を過ぎると道の脇にアザミやユキノシタが咲いていた。
6:13に道の駅 せせらぎ郷かみつえ着。走行距離60.7km、燃費21.3km/L、平均車速43km/h、走行時間1:25、EV走行距離26.0km(43%)、航続可能距離486km、外気温10度。高度354m。6:43発。
国道387号のファームロードわいたの分岐より先を走るのは久しぶり。調べてみると2016年の9月以来。
4月に月出山岳の帰りに慈恩の滝に行ったときに滝のそばに「万年山概念図」という案内図があり、その案内図がかなり古いもので廃線になった宮原線がのっていた。それがきっかけで帰ってから少し宮原線について調べてみた。それで宮原線の旧町田駅が国道387号の道の脇にあるというのが分かったので少しだけ注意して見ていたら、駅名板が確かにあった。あることを知らないとまず気付かないだろう。現在のこのあたりの387号は6年前に開通したバイパスが国道となったもので元々の道は東側にあってこれは国道では無くなった。このバイパスは旧宮原線の走っていたあたりに作られたので旧町田駅のホームは道のすぐ脇にある。旧宮原線の遺構は他には宝泉寺駅が物産館として利用されているとのこと。
新引治交差点から先は走ったことが無い道。道が川沿いになったあたりでテーブル状の山が見えた。方向からして万年山ではないのでどこの山だろうと思っていたが、大岩扇山、小岩扇山でその隣が宝山だったようだ。
国道210号を家畜市場入口の交差点で左折。交差点には案内の標識があった。農免道路を900m程走って左折。ここにも案内の標識がある。ここから道は狭くなる。上っていくと別荘地になる。別荘地にありがちなこじゃれた建物でなく、普通の家っぽいものが多く、はじめは別荘地だとは思わなかった。X区(Xは数字)と書かれた標識があるので別荘地だと気付いた。別荘地とは言っても定住者がそれなりにいるようで、普通に車が停まっていたりした。
山頂までの道は狭い林道。離合所の標識があり離合所があるのだが、これも狭い。
7:39に吉武台倉庫の駐車場着。走行距離104.4km、燃費20.8km/L、平均車速44km/h、走行時間2:22、EV走行距離47km(45%)、航続可能距離430km、外気温10度。高度941m。
駐車スペースの争奪戦に巻き込まれるのが嫌だったので、8時前には着こうと思っていたが、無事8時前に到着。駐車場には他に伊豆ナンバーのバンが1台停まっているだけだった。駐車場の端の方には工事現場にあるような仮設トイレが設置されていた。
吉武台登山口〜周回コース入口
駐車場に着いた時に駐車場から崩平山、九重山、涌蓋山の展望があったので驚いた。こんなに展望が良いとは思っていなかった。これなら上に登った時の展望が大いに期待できる。
出発準備をしていると熊本ナンバーの軽自動車が1台やってきた。4人の登山者がのっていた。その後に福岡ナンバーの車がやって来たが、こちらは1人。4人組の登山者は自分より先に出発していった。
今回歩くコースは、ミヤマキリシマの群生地と万年山をグルッと周回するコース。駐車スペースがあるらしい鼻繰登山口、下園登山口、北山田ルートも検討したが、無難な今回のコースになった。北山田ルートは一部不明瞭な個所があるらしい。下園登山口からは少し荒れているらしい。鼻繰登山口からは楽すぎる。というわけでグルッと周回する一般的なコースを歩くことにした。
思っていたより寒かったのでザックの中の薄手のフリースを着てから出発。ゲートの脇を通って舗装された牧道を登って行った。ウグイスが鳴いていてのどか。
牧道を上がっているときに下の方から駐車場へやってくる車の音が聞えてきた。そろそろ登山者が増え出す時間のようだ。
牧道のゲートから5分程で2体の石仏があった。牧場にあるので馬頭観音だろうと思ったが、やはり1体は馬頭観音。もう1体は後で調べてみると金剛界大日如来らしい。
やがて道は牧野の中になり、抜けの良い眺望が広がるようになった。由布岳、九重山、涌蓋山などが見えた。展望は良いのだが、雲が多かった。天気予報だと終日晴れだったけど本当に晴れるのだろうか?
眺望を楽しみながら登っていくと、ミヤマキリシマの群生地が見えてきた。ここは帰りに寄ることにした。万年山牧場の2つ目のゲートのところで登山者2人組に追いついた。どうやら伊豆ナンバーの車の持ち主らしい。ゲートのすぐ近くに9合目避難小屋。トイレもある。出発した吉武台倉庫のゲートの所が8合目とのこと。炊事場、水場という標識があったので行ってみたが、水場の水は出ていないし、炊事場もどうやらもう使われていないようだ。
こちらがウロウロしているうちに2人組の登山者は先に進んでいたが、周回コース入口で追いついた。話してみると既に山頂に行ってきたとのことで、ミヤマキリシマを期待して山頂に行ったが、期待したほどではなく、先行していた4人の登山者から御花畑の方のミヤマキリシマ群生地の話を聞いてそちらに行きたいらしい。周回コース入口の案内板に鼻繰分れにPマークがあるので車でそこまで移動したいらしい。こちらもそれほど的確に鼻繰登山口までの道を把握しているわけではないが、慈恩の滝のまで行って県道に入って、下園妙見様湧水を目指して行って、そこから先は林道らしいと言っておいた。後から思い出したが、スマホのNaviConというアプリに鼻繰登山口の駐車場の場所を登録してあり、登録された情報にマップコードもあるのでそれを教えて上げればよかった。
今回歩くのはこの案内図で御花畑鑑賞コースで、これから林間コースへ向い鼻繰分れから登って、縦走コースで山頂まで歩き、この場所まで帰ってくる。歩いているうちに雲がなくなって、山頂では晴れていることを期待しながら林間コースへ出発。
周回コース入口〜ミヤマキリシマ群生地御花畑
分岐からは砂利道の林道。歩いていくときれいに転圧された砂利道になった。そのうち舗装でもするのだろう。途中に伐株山が見える場所があった。
歩いているうちに何か音が聞えてきた。おそらく自衛隊の日出台演習場からの音。音からすると連射出来る火器での射撃訓練をしていたのだろう。後で調べてみたら日出台演習場ではやはり射撃訓練をやっていた。
道は土の道になり、そのあたりで植林の木立の間からミヤマキリシマが見えた。進んでいくとカヤが両側に繁っている場所になり、そこからほんの少し歩くとミヤマキリシマ群生地に到着。群生地までには2人の登山者とすれ違った。おそらく鼻繰登山口からの登山者だろう。
群生地は一面にミヤマキリシマが生えている中にところどころに松の木が生えおり、松の木がアクセントになったミヤマキリシマ主体の日本庭園といった感じだった。休憩に丁度良い場所なので休憩兼食事。
ミヤマキリシマ群生地御花畑〜鼻繰分れ〜展望所〜万年山
ミヤマキリシマ群生地から歩いていくとやがて舗装林道へ。おそらく、途中の転圧された砂利道がここにつながっているのだろう。ここから鼻繰分れまでは、ほぼ舗装道だがところどころ砂利道が混じった。ゲートを抜けると鼻繰分れでベンチなどがあった。
鼻繰分れよりは登り。今までは周回ルート入口からは植林地の林道歩きだったが、ここからはやっと山道らしい道になり、自然林の森となった。森ではハルゼミが鳴いていた。周回コース入口にあった「万年山トレッキングコース概念図」ではちょっときつい階段200mとあったが、所詮は階段だし、登山道としては普通の道だった。
5分強程登るとベンチや道標がある場所に着いたが、右に行く踏み跡があるので行ってみたら展望が開けた場所に出た。阿蘇方面、津江方面、耳納方面、日田方面、玖珠方面の展望が広がっていた。阿蘇方面は阿蘇山をはじめとして、鞍岳、ツームシ山、尾ノ岳、斧岳などの外輪山上の山がはっきり見えた。先月登った月出山岳、一尺八寸山や、前回登った亀石山、湯ノ見岳も見えた。日田の市街地も見えるし、その先の市街地はうきは市、朝倉市らしい。とにかく展望がよかった。よくよく考えてみるとここが「万年山トレッキングコース概念図」に書いてあった展望所のようだ。舗装道がすぐ近くに見えたので鼻繰登山口への林道かと思ったが、調べてみると、そうではなく鼻繰登山口への林道は見えていた林道から途中で分岐しているらしい。
展望所で間違いに気づいた。鼻繰岩経由で万年山に行くつもりだったのだが、鼻繰岩を通っていない。鼻繰分れを登っていく途中に分岐があるものと勝手に思い込んでそのまま登ってきてしまった。実際には鼻繰分れのベンチのあるあたりに分岐があったらしい。
展望所から万年山の山頂までは、ほぼゆるゆるとした登り。途中に右方向に向かう踏み跡が3ヶ所程あり、行ってみると3ヶ所とも展望が開けた場所に出た。4箇所目の右へ向かう踏み跡は1,095.2mの三角点へ向かうものらしかったが、途中まで行ってみたら、踏み跡が錯綜していて分かりづらくなった。行っても展望はなさそうなので途中で行くのをやめた。踏み跡から戻る途中で鼻繰の方向から2人の登山者がやって来た。
山頂まではところどころ阿蘇、九重、涌蓋山方向の展望が開けていた。玖珠方向も木々の間から少しだけ見えた。
ここまであまり人に遇わないなと思っていたが、この先は山頂までに20人ほどの登山者とすれ違った。
山頂にはベンチがあり、10人位の登山者が休んでいた。山頂で休憩しようと思っていたが、ベンチが全て埋まっていたので休憩は諦めて、景色を眺めるために山頂付近をウロウロした。山頂は少し木やササに邪魔されるものの、ほぼ全面が開けていて展望が良かった。
万年山〜周回コース入口〜ミヤマキリシマ群生地〜吉武台登山口
山頂から少し歩くと宝泉寺温泉への分岐。近くに万年山の由来の説明板があった。
樟の巨木を切ったときの土がはねあげたのが万年山とある。樟の巨木の切り株が伐株山だったはず。以前に道の駅 慈恩の滝くすでもらってきた伐株山のパンフに以下のような伝説が書いてあった。
伐株山 伝説 |
昔むかし、玖珠盆地に天にも届きそうな樟(くす)の大樹がそびえたっていました。 木のてっぺんは雲の上まで伸び朝日が当たる頃は有明海まで影が届き、 夕陽を隠して四国まで影がかかる大木でした。 まったく地面に日が当たらず田や畑はいつも日陰で作物は育たず村人は次々に 病気になり困っておりました。 そこで身の丈900尺もある大男にたのんでこの大木を苦労の末3年3ヶ月もかけ 伐り倒してしまいました。 そうしたら大きな湖だった日田盆地は大木が倒れ湖の土手が切れ水がひて(日田ひた)しまいました。 樟の木の先端は(長崎ながさき)、落ち葉のあとが(博多はかた) 葉っぱの流れついたところが(杷木はき) 樟の木の鳥の巣の落ちたところが(鳥栖とす) ここまではくるめえ(久留米くるめ)と思ったところまでもとどき (小倉こくら)もグラッとゆれたほどの大木で、その伐り株が今の「伐株山」だとさ |
大男の身長900尺は270mでシンゴジラに出てくるゴジラ(118.5m)の倍以上でかなりデカい。それよりも伐株山から長崎までの距離が130kmなので樟は超巨木で雲の上まで伸びているとか、天にも届きそうレベルの話ではなく宇宙に達してる。調べてみると130kmの高さだと函館あたりからも見える計算になるようだ。
道はやがて階段の下りとなった。階段はところどころ石を埋め込んである階段となっており、歩きにくい。階段を下りたところに万年山の説明板があった。
朝に会った伊豆ナンバーの車の持ち主らしき登山者は「山頂一帯はミヤマキリシマの群落があり」って説明で期待して山頂に行ったのにイマイチだったから鼻繰登山口の方からミヤマキリシマ群生地御花畑に行きたくなったのだろう。山頂付近だと山頂から少し先あたりの方がミヤマキリシマが生えていた。その辺りで写真を撮っている人も居たが、御花畑の群生地とは比べ物にならないし、自分は御花畑の方に先に行っているのでそのあたりでは写真を撮る気も起きなかった。
山頂に向かう道だけあってさすがに登山者は多く、周回コース入口までに 20人弱の登山者とすれ違った。
山頂で食事をしながら休憩しようと思っていたのに人が多くベンチも埋まっていたのでしなかったが、9合目避難小屋の近くにベンチもあったのでここで食事。
ミヤマキリシマ群生地の分岐あたりに茶色いハンミョウがいた。コハンミョウというハンミョウらしい。動きがおかしいなと思ってよく見たら、後ろ足にアリが食らいついていた。
ミヤマキリシマ群生地はネットで囲ってあったので中には入れないものと思っていたが、中に人がいるのが見えた。ネットの外から見るだけではつまらなそうだなと思っていたが、入れるところがあって入ってもかまわないようなので行ってみることにした。牧場のゲートと同じゲートがあり、そこから群生地に入ることが出来た。ネットは獣害対策のものだが牧場のゲートも含め昨年には無かったらしい。
朝に歩き出したときには雲が多かったが、すっかり晴れ上がって良い天気。牧場からの眺めも良かった。由布岳方面に目を向けるとそのうち登ってみたいと思っている倉木山、城ヶ岳、野稲岳、福万山、平家山などが見えた。ヒバリが鳴いていてのどかな雰囲気。時々キジも鳴いていた。
もうあまり人が登ってこない時間となったようでミヤマキリシマ群生地までに3人ほど、吉武台倉庫までに3人しかすれ違わなかった。
吉武台への下りでハルゼミが鳴いていた。牧道の脇には松の木が生えており、そこが生息地となっているらしい。
ところどころでフワフワと綿毛が飛んでいた。ヤマヤナギという木の綿毛らしい。
吉武台倉庫の駐車場は朝とは打って変わって車がたくさん停まっていた。数えてみると36台停まっていた。階段の下りで10人程の団体とすれ違ったのでマイクロバスが居るだろうと思っていたが、1台停まっていた。筑豊、北九州などの福岡県のナンバーが多かった。足立、新潟、倉敷などの遠くのナンバーの車もあった。
万年山に登ったのは今回がはじめてだが、ここまで眺望が良いとは思わなかった。大分の由布・玖珠・日田・九重周辺の主だった山を見ることが出来た。そう言えば、今年は「日本異様難読山名コンテスト」の1位の一尺八寸山、3位の月出山岳に登ったが、万年山は12位である。
コースタイム
トラックログ
12:24に吉武台倉庫駐車場発。
復路では、そのうちに登ろうと思っている伐株山の針の耳登山道を登るときに車を停めるのに良さそうな場所を見つけていたのでまずはそこに寄ることにした。ここは衛星写真を見ていて見つけた場所で駐車場らしき場所とそのそばに東屋らしきものがあった。残念ながらGoogleストリートビューのデータがないのでどういう場所なのかは実際に行ってみないとわからない。
下りていく途中に神社由来の書かれた案内板が道の脇にあった。こんなところに神社があるのか。
伐株山の駐車ポイントは場所をカーナビの目的地に設定しておいたが、万年山から下りる途中でカーナビは左折を指示した。が、植林地で作業がある時だけ手入れをしているのではと言った感じの道路脇に繁った草で路肩が見えなさそうな道なので、往路の道を戻って、農免道路経由で行くことにした。
対向車は来ないかと思っていたが、途中でバイク2台、軽自動車1台とすれ違った。
農免道路を2.5kmほど進み(途中に伐株山園地登山口(笹ヶ原))、左折し、伐株山憩いの森キャンプ場方向へ。途中の「伐株山願い地蔵尊車道入口」と書かれた標識がある場所を標識に従い右折し、300mほど進むと右側に駐車場。
12:50に伐株山願い地蔵尊の駐車場(?)(後日に伐株山に登る際に利用した時に伐株山憩いの森の駐車場であることが判明)着。走行距離115.0km、燃費21.4km/L、平均車速44km/h、走行時間2:49、EV走行距離52.5km(46%)、航続可能距離410km、外気温10度。高度546m。
結構広い駐車場とキャンプ場とかにありそうな休憩施設(?)が駐車場の脇にあった。この駐車場は場所的に伐株山願い地蔵尊の駐車場なのだろうか? 標識などはないので何のための駐車場なのかは明確にはわからない。
12:53に伐株山願い地蔵尊の駐車場(?)発。
集落の中や田ん圃の中の細めの道路を通り国道210号へ。210号を少し走ると玖珠ウィンドファームの風車が見えてきた。万年山の展望所で見たときは全部停まっていた。展望所から先に進んだ時には1基以外は回っていたが、ここでも風車は1基以外は回っていた。途中、久大本線の電車とすれ違った。
13:13に道の駅 慈恩の滝くす着。走行距離127.2km、燃費22.7km/L、平均車速40km/h、走行時間3:09、EV走行距離59.4km(47%)、航続可能距離391km、外気温23度。高度270m。
売店でフキ、柚子胡椒を購入した後に慈恩の滝へ。滝壷ではすぐそばをヤマメが泳いでいた。前回来たときは時間があまりなかったのでちらっと滝を見ただけだったが、今回は滝の裏を廻ったり、付近を少し歩いた。滝のそばにはお地蔵さんがあったり、竜の像があったりした。その竜の像のところの案内板には以下のようなことが書かれていた。
◆慈恩の滝の竜の物語 |
遠い昔、万年山(はねやま)のふもとに、小さな川をはさんで、 小さな村がありました。その小さな川の先の小さな滝には、一匹の 小竜が住んでいました。 村人たちは、いつから、その竜が滝の奥にある穴蔵に住んでいる のか誰も知りませんでしたが、悪さをするわけでもなく、かわいら しい、おとなしい竜だったので、みんな竜のことが好きでした。 竜もやさしい村人たちが好きでした。村人たちと竜は仲良しだっ たのです。 しかし、その竜がどうやら重い病気にかかり苦しんでいることが わかったのです。村人たちは、何とかその竜を助けてやることはで きないものだろうかと思いましたが、どうすることもできませんで した。 そんなある日、旅をしているお坊さんが村を訪れました。たくさ んの修行を積んでいるお坊さんは、村人たちのどんあ問いにも答え ることが出来ました。そのお坊さんに村人のひとりが病気の竜のこ とを相談したところ、私が竜を助けてやろうと言ったのです。 お坊さんは竜に言いました。 「お前は、この滝の中ではもう長くは生きられない。しかし、お前 を天空に昇らせてやろう。そうすれば、病気の苦しみから、お前は 助かることができるぞ」 竜は喜んで、お坊さんに頼みました。 「どうか、私を天空に昇らせてください。そうすれば、今まで、私 を大切にしてくれた村の人たちに恩返しをします」 お坊さんは、穴蔵の見える大きな岩に立ち、呪文を唱えました。 すると、それまで明るかった空は、一瞬で真っ暗になりました。激 しい風が吹き始め、大粒の雨が降り出し、激しい雷鳴と稲妻がやむ ことなく続きます。 次第に竜の体が光り始め、天に向かって浮かび始めました。小さ かった竜の体はだんだん大きくなり、長い体を滝のあちこちにぶつ け、体を覆う光をあちこちに飛ばしながら、それでもどんどん上が っていきます。 竜の体がぶつかった岩は砕け、一段だった滝は二段になり、静か に落ちていた滝の流れが、一瞬で激しいものに変わりました。そし て、あちこちに飛んだ光は滝壺へ落ちていき、しばらく魚のように 泳いでいたかと思うと、やがて本物の鯉に変わっていきました。 それから、どのくらいの時間がたったのでしょうか。お坊さんと 村人たちが見守る中、竜は天空へと昇り見えなくなってしまいまし た。 そして、空から声がしたのです。 「ありがとう。お礼に、これから、この地に多くの雨を降らせ、 水の恵みを与えましょう」 それからというもの、万年山(はねやま)の上空にはたくさんの 雨が降り注ぎ、川上に水が湧き出し、小さな川は美しい水で満たさ れました。 それからまた長い年月が経ちました。竜からの贈り物である、こ の水を大切にしようと思った村人たちは、険しい山の中にもかかわ らず、みんなで力を合わせて、川の両方にみごとな水路を引きまし た。その水路のおかげで村中の田畑は潤い、たくさんの農作物がで き、村人たちは、豊かで平和に暮らしていくことができました。 水は、長い水路を通って二段になった滝に落ちていき、滝壷には 村人たちから大切にされている鯉が元気に泳ぎまわり、その水しぶ きの中に、ときたま、一瞬、竜が姿をみせることがあるということ です。 |
遊歩道を挟んで竜の像の案内板の向かいには別の話が書かれていた。旅の僧が病気を直すという共通点があるので元々は同じルーツの話なのだろう。
慈恩の滝の由来 |
今からおよそ千数百年の昔、この滝壷の中に大蛇が住んでい た。或る年の麦の実る頃、夜中にこの大蛇が滝壷より這い出 して麦畑の中でのたうちまわり農民の汗による麦を荒してし まいわづか一夜で近郷の麦畑はほとんど全滅に近い被害を受 けその年の秋の実りの田もこの大蛇に荒され其の後数年間、 田畑を荒され続けた。このため農民はホトホトこまり八方手 をつくし何とか大蛇を鎮めんものと、或るときは、加持祈祷 に、またあるときは、滝壷に竹網を張るなどしたがその甲斐 もなく大蛇に荒され農民は食べるものもなく困窮の果て、先 祖より受けついだ田畑を捨て、家を捨てる者が続出しこの地 域をはなれて行ったのである。こんな年の・・・・夏の夕暮 れどき、地域を通りかかった旅僧がこのありさまを聞き、及 ばづながら経の功力により大蛇を鎮めて見ようと、その夜折 から登る月光の下滝しぶきのかかるあたりに座して一心に読 経を続けておりますと、やがて急に滝壷に逆渦巻が起り、波 の中から凄まじい形相の大蛇が姿を現わしたのである。これ を見た僧侶はそのような浅ましい姿では経を聞くことは出来 まい。・・「心をやわらげ、姿を変えて現われよ」と、さと した。すると大蛇は、ザブンと水中に身を沈め、しばらくし てこんどは頭だけ大きく胴体は筆の軸位に痩細り長さは二丈 (7m)あまり見るもあわれな姿で水の上に現れた。旅僧は大蛇に 向い法を説きながら、「何故に田畑を荒すのか」と問いただ すと、大蛇は頭を銅の方に向けて曲げ舌の先で体中を舐め始 めたので、旅僧は大蛇に近づき、よく見ると、鱗の間に全身 虫が寄生しているのを発見した旅僧はこの大蛇をあわれに思 い、その胴体の上を経文で撫でさすると、大蛇は目を細め旅 僧のなすままに静かにしていて、病気もよくなりその後は一 度も田畑を荒すことなく稲や麦も実り農民の喜びは大変なも のであった。農民はこの旅僧のために一つの寺を建立し慈恩 寺と名付け寄進した。しかし慈恩寺は戦国の争乱で大分府内 の領主大友宗麟の軍により滅失したのである。 |
大分県日田市天瀬町 |
13:37に道の駅 慈恩の滝くす発。
13:55に亀石峠着。走行距離143.3 km、燃費21.6km/L、平均車速41km/h、走行時間3:20、EV走行距離64.3km(45%)、航続可能距離383km、外気温19度。高度801m。
天気が良く、景色も前回に来たときよりも良く見えた。鞍岳、ツームシ山も見えるし、祖母山も見えた。この景色を見るためだけにでもここの来る価値はある。少し腹が減ってきたのでここで食事兼休憩。牧野では牧草の刈り取りが行われていた。
14:18に亀石峠発。
前に2回来たときはファームロードわいたで国道387号へ降りたが、今回は途中で右折してグリーンロードで国道212号へ降りてみた。最初の方は阿蘇山が見え、良いドライブコース。途中で道の脇にアナグマが居るのを見かけた。高度が下がっていくにつれ展望は無くなり普通の山の中の道になった。下の方はカーブがあり、道がやや狭いところもあった。亀石峠から道の駅 小国まではファームロードわいた経由で下ると7kmほど走行距離が長くなるようだが、グリーンロード経由だと途中のカーブや道の狭くなるところのスピードダウンがあるので時間的にはあまりかわらないようだ。
家で頼まれていたものを買うために道の駅 小国へ。
14:35に道の駅 小国着。走行距離156.4km、燃費22.3km/L、平均車速41km/h、走行時間3:48、EV走行距離66.9km(43%)、航続可能距離357km、外気温23度。高度431m。14:40発。
15:00に道の駅 せせらぎ郷かみつえ着。走行距離170.5km、燃費22.9km/L、平均車速41km/h、走行時間4:09、EV走行距離74.5km(44%)、航続可能距離336km、外気温24度。高度350m。
ここに寄ったら買ってきてくれと頼まれているシカとイノシシの肉、カステラを購入。
15:13に道の駅 せせらぎ郷かみつえ発。
15:30に道の駅 鯛生金山着。走行距離181.9km、燃費22.6km/L、平均車速41km/h、走行時間4:28、EV走行距離79.3km(44%)、航続可能距離325km、外気温21度。高度540m。
生シイタケと葉わさびのしょうゆ漬けを購入。
15:38に道の駅 鯛生金山発。
15:53に杣のさと着。走行距離193.9km、燃費22.9km/L、平均車速41km/h、走行時間4:45、EV走行距離81.9km(42%)、航続可能距離309km、外気温23度。高度313m。
地ビール全5種と花ワサビのワサビ漬け(しょうゆ漬け、粕漬け)を購入。季節のビールはレモンだった。
16:02に杣のさと発。
16:07に矢部特産物共同販売所 出逢着。走行距離197.2km、燃費23.0km/L、平均車速41km/h、走行時間4:52、EV走行距離84.0km(43%)、航続可能距離307km、外気温19度。高度318m。
よもぎまんじゅうは品切れだった。よもぎまんじゅうの製造はここで行っているようなので待っていたら買えるか聞いてみたら、買えるということなので待つことにした。とりあえずは裏の湧水を汲んだあとにそのあたりをブラブラと歩いて時間を潰した。
16:45に矢部特産物共同販売所 出逢発。
矢部村方面から帰るときに国道3号で山鹿市街に近づくと信号待ちで何度が停められるのが鬱陶しかったので今回は事前に調べておいた国道3号とほぼ平行して走っている農道を裏道として使ってみた。スピードは出せないし、途中から道が狭くなりスピードダウンを強いられるためあまり時間短縮にはつながらないようだが、信号待ちがないのでこちらの方が走るのに楽だった。
18:11に自宅着。走行距離249.5km、燃費24.9km/L、平均車速40km/h、走行時間6:18、EV走行距離17.3km(47%)、航続可能距離274km、外気温23度。車の総走行距離21,725km。