大津山

大津山公園〜大津山〜大津山公園 2018/2/8

この冬は寒波が何度も襲来し、とにかく寒い。どこかに歩きに行きたい気持ちはあるが朝の気温が低さのため早朝の出発は億劫だ。そこで、遅い時間に出発できる近場の山に登ることにした。

2/8(木)

12:52に自宅発。外気温9度。航続可能距離309km。

天気は良く、あまり寒くはない。自宅の庭ではフクジュソウが花が咲き始めた。この冬は寒い日が続いたためか開花が少し遅い。フクジュソウの咲く時期なのにまだ杉花粉情報をニュースとかで見ないのはこの冬が寒かったためかと車を走らせながら思った(この翌日から杉花粉情報をニュースで流すようになった)。

食料調達のためにセブン−イレブンに寄ることにした。

13:23にセブン−イレブン 南関小原店着。走行距離16.4km、燃費20.4km/L、平均車速28km/h、走行時間0:36、EV走行距離8.8km(54%)、航続可能距離288km、外気温8度。高度84 m。13:28発。

13:23に大津山公園駐車場着。走行距離19.6km、燃費20.9km/L、平均車速27km/h、走行時間0:43、EV走行距離10.9km(56%)、航続可能距離285km、外気温8度。高度79m。

大津山阿蘇神社にも駐車場があるようだが、不信心者が神社の駐車場を使うのは気が引けるので大津山公園の駐車場を使うことにした。

大津山公園駐車場〜皇太子御成婚記念の森〜駐車場

駐車場のすぐそばには大蛇スライダーという滑り台があった。この大蛇は南関町には大蛇山という大蛇(というか龍神っぽい)の山車が登場する祭りがあるのでその大蛇だろう。大蛇山の祭りは南関町以外にも柳川市、みやま市、大牟田市で行われるそうだ。自分は親戚が大牟田に居るので大牟田の大蛇山は知っていた。

駐車場のそばには以下の写真のような案内板と冠木門があった。裏手の駐車場側から登るつもりだったので冠木門をくぐって進んだ。

園内の遊歩道をを適当に目的の方向に歩いていけば何とかなるだろうと思い歩いていったら、山頂への案内があり、急登とか書いてあった。そのまま山頂へ向かうとあっと言う間に到着しそうなのでそこからは登らずに更に進んで行ったらなんと行き止まり。行き止まりの歩道もあるんかいと思いながらUターンして、登るときにチラっと見えていた麻扱場橋まで戻った。

橋には以下のような案内板があった(実際には縦書き)。

麻扱場(おこんば)橋

おこん場橋は、南関町大字下坂下、北 辺田の内田川に架かっていたアーチ式の 石橋で、平成5年にほ場整備にともなう 河川改修により、解体撤去のやむなきに いたり、ここ大津山公園内の太閤水の地 に移転復元されました。

建造年代は不明ですが、江戸末期か明 治の初期と考えられています。石工名も 残念ながらわかっていません。  橋名は、昔内田川で麻のさらしが行わ れていて、橋の近辺を「麻(お)扱(こ) き場」と呼んだことによるものです。

撤去前は農道として近隣の人々が利用 する程度でしたが、昔は肥猪方面から高 瀬に出るには、この橋を渡り、上坂下、 三ツ川を抜けるのが最短でしたので、多 くの人々が利用する大事な橋でした。

おこんば橋は、やむをえず移転復元さ れましたが、これからもずっと町の文化 財として大切にしていきましょう。

[測定値]  橋長11・9m 幅員2・77m  スパン8・9m 拱矢4・7m 輪石数35

南 関 町    南関町教育委員会

このあたりの川のそばの道を車で走っているとたまにこういう感じの石橋を発見することがある。

裏手の駐車場までは舗装道歩き。下の方にイノシシ注意の立て札があった。道沿いには桜の木が植えてあり、花の咲く頃はきれいだろうと思った。

途中でシカの鳴き声を聞いた。このあたりにもシカが出るのかと思ったが、よく考えれば、ここから北東方面は日田まで山が連なっているのでシカが居ても不思議ではない。

裏手の駐車場までは歩き出した駐車場のそばの「大津山公園自然の森」の案内板に書かれていたとおり、皇太子御成婚記念の森の所に駐車場があった。また、途中の池のあたりは案内板には書かれていないが駐車可能な地点があった。

裏手の駐車場までは散歩をしているらしき人ひとりとすれ違ったほかは軽自動車1台が一台追い抜いていっただけだった。

裏手の駐車場からは八方ヶ岳が見えた。

登り口の所に「鳥獣供養之碑」があった。他に以下のような案内板があったが、かなり汚れていて字が読みにくかった。

南関町 ゆとりと健康の森整備事業
●事業の意義

南関町では、町内に多く存在する森林を利用して住 民の健康増進と心身両面でやすらげる環境の整備を図 るとともに、森林を育成整備し林業の産業基盤を確率 する目的で「健康とゆとりの森整備事業」を実施しま した。

整備内容としましては、連絡管理道(〓道)・林内 歩道・皇太子御成婚記念の森・大津山自然探索の森・ 銘木生産の森などであり、今後、森林浴や野外生活な ど多目的に利用されることを期待しています。

大津山自然探索の森整備について

整備区域には森林歩道を開設するとともに、周囲の 広葉樹林、スギ及びヒノキ人工林に対し整理伐、本数 調整伐など適切な施業を行ない、利用者が林内に入り 込んで散策、自然探索が出来るようにしました。

なお、標高256mの山頂には応永2年(1395)大津山 資基が築いた「つつら嶽城跡」があり、慶長5年(1600) に取り壊されましたが、現在も城跡記念碑は残ってい ます。

大津山公園内、つづら嶽城の小 径沿いに設置された樹木板は、 「水とみどりの森づくり税」を 活用して設置したものです。

つづら嶽城の小径 全長1200mのコース内には、4つの 木橋が架かっています。山頂の「つづら 嶽城」跡まで樹木の学習をしましょう。

[案内図]

※ 読み取れなかった部分は「〓」で表記。おそらく「車」。

駐車場〜大津山

ここからは土の道だが、整備されていて歩きやすかった。ヤブツバキが所々に咲いていた。南関町の隣の大牟田市は市の花がヤブツバキでマンホールなんかもヤブツバキがデザインされたものがあったりする。植生はこのあたりの低山にはよくある常緑広葉樹の森で、土壌も小岱山あたりと良く似ていた。

10分ほど歩くと鑑元橋で橋で橋の手前には以下のような案内(実際には縦書き)があった。

大津山氏と〓嶽城(つづらたけじょう)
 (一)大津山氏について

宝永三年(一七〇六)井沢蟠龍(ばんりゅう)が著した『南関紀聞(きぶん)』によりますと、大津山氏はもと河 内の国古市(ふるいち)(現大阪府羽曳野市(はびきのし)古市)に住んだ日野氏という武士団でした。室町四代将軍 足利義持の時、大津山一帯を賜り、応永二年(一三九四)日野資基(もとすけ)が、家臣一五〇余人を 引き連れ、都より下って領主となりました。

翌年資基は、この大津山に城を築きますが、城は八代家稜(いえかど)が滅ぶまで、約二〇〇年間そ の居城として、東西ににらみをきかすことになります。

大津山氏は「河内守(かわちのかみ)」を名乗り、家紋は「五段の梯子(はしご)」といわれています。

大津山氏系図

初代資基(すけとも)−二代経澄(つねすみ)−三代経稜(つねかど)−四代経方(つねかた)−五代重経(しねつげ)−六代資秋(すけあき)−七代資冬(すけふゆ)−八代家稜(いえかど)

 (二)〓嶽城跡について

〓嶽城は、標高二五六mの円(すい)形の霊山、大津山に築城されました。頂上に本丸(平成六 年の発掘調査で戦国時代の礎石建物跡を確認)、二の丸、中腹に三の丸が設けられていまし た。また、本丸の背面側には、尾根筋を分断する掘切が三カ所残っており、中でも本丸直 下のものは、大規模な二重堀で、その様は、まさに壮観です。

この城は肥筑国境を固める重要な城で、歴代の城主としては、大津山氏以外に、小原(あき) (もと)龍造寺(りゅうぞうじ)家治、佐々藤右衛門(ささとうえもん)、加藤清兵衛、加藤美作(みまさか)などが知られています。

 (三)橋名の由来

鑑元(あきもと)    戦国時代、〓嶽城に在城し、豊後(ぶんご)大友氏の家老で肥後方分(かたわけ)(肥後方面総司        令官)であった小原鑑元は、主君大友義鎮(よししげ)宗麟(そうりん))に対してむほんを起こ        し、この城で戦死しました。

新蔵(しんぞう)    大津山資冬、家稜の家臣団の中で、豪勇比類なき忠臣、夫婦木(めおとぎ)新蔵にちな        んでいます。新蔵は、家稜の死の知らせを聞いて殉死をとげました。

家稜(いえかど)    大津山家稜は、天正一五年(一五八七)肥後国衆一揆に加わって佐々成政(さっさなりまさ)        に反旗をひるがえしますが、ついには佐々方の謀略によって、無念の最期        をとげました。

資基(すけもと)    大津山資基は、日野大納言資名(すけな)の子で、足利尊氏に属して公家から武士に        転じ、その後、勲功により大津山を賜り、大津山家の祖となりました。

※ 〓は儡の人偏を取って草冠を付けた字

※ 「m」は別の表記であるが機種依存文字のため「m」で表記

鑑元橋を渡ってから5分ほどであとの3つの橋を次々と渡り、あっさりと山頂到着。山頂には石碑とつづら嶽城跡の説明板があり、説明板に書かれている礎石を見ることが出来た。石碑の字は判別しにくいが「大津山城址」と書いてあるようだ。

三角点は城址の南側にあり、こちらの方がやや低いが、景色が開けていた。天気は良いが景色は霞んでいて、小岱山、三池山あたりは良く見えて、長洲の造船所のクレーンが霞んだ景色の中に辛うじて見えた程度。本当なら小岱山と三池山の間に雲仙が見えただろうに少し残念。金峰山、二ノ岳、三ノ岳も見え、その左は木葉山かと思ったが、松ヶ平山らしい。松ヶ平山の方が手前で標高も高いので木葉山は隠されているらしい。

ベンチがあったので買ってきた食料で食事をした後に下山開始。

大津山〜大津阿蘇神社〜大津山公園駐車場

道は森の中の整備された土の道。途中に電波塔(後で調べたら南関デジタルテレビ中継局とのこと)があった。

降りていく途中でおかしなものを見つけた。ワイヤーネットに造花でハートマークが作られており、地面にはハート型に石が並べられ、ハートを撃ち抜いている矢を表しているらしい棒まで置いてあった。大津山は秘密の恋人たちの聖地か何かか? それが次の写真。

降りていくと下の方に建物が見えて来て、すぐにそこに到着。小さなお社があった。名称は何も書かれていなかったが、更に下っていくと鳥居がありそこには明治神宮遙拝所とあったのでお社は明治神宮遙拝所なのだろう。

簡易舗装になった道を降りていくと、大津山阿蘇神社の拝殿に到着。さらに石段を下ると大津山生目八幡宮と遙拝所があり、その下に立派な楼門があった。

楼門をくぐって石段を下るとすぐに国道443号で、国道の脇の歩道を歩いて駐車場に戻った。

今回は山登りと言うよりも標高差150mの散歩と言った感じのお手軽コースだった。

コースタイム

トラックログ

15:21に大津山公園駐車所発。

目と鼻の先にいきいき村という物産館があるので寄っていくことにした。

15:24にいきいき村着。走行距離18.8km、燃費20.3km/L、平均車速25km/h、走行時間0:48、EV走行距離11.0km(55%)、航続可能距離284km、外気温9度。高度75m。15:26発。

16:09に自宅着。走行距離38.6km、燃費24.7km/L、平均車速28km/h、走行時間1:22、EV走行距離23.6km(60%)、航続可能距離260km、外気温9度。車の総走行距離12,934km。

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